下を眺めた。彼を眺めている多くの眼には、熱心に注意していることの他《ほか》には、どんな意味も現れてはいなかった。目に見えるほどの威嚇や憤怒はなかった。また人々は何も言いはしなかった。あの最初の叫び声をあげた後には、彼等は黙ってしまったし、そのままずっと黙っていた。口を利いた例の柔順な男の声は、極端な柔順さのために活気も気力もないものであった。侯爵閣下は、あたかも彼等がほんの穴から出て来た鼠ででもあるかのように、彼等一同をじろりと眺め※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]した。
 彼は財布を取り出した。
「お前ら平民どもが、」と彼が言った。「自分の体や子供たちに気をつけていることが出来んというのは、わしにはどうも不思議なことじゃがのう。お前たちの中の誰か一人はいつでも必ず邪魔になるところにいる。お前たちがこれまでにわしの馬にどれだけの害を加えたかわしにもわからぬくらいじゃ。そら! それをあの男にやれ。」
 彼は側仕に拾わせようとして一枚の金貨を投げ出した。すると、すべての眼がその金貨の落ちるのを見下せるようにと、すべての頭が前の方へ差し延べられた。脊の高い男はもう一度非常に気味悪い叫び声で「死んじゃった!」と喚《わめ》いた。
 彼は別の男が急いでやって来たために言葉を止《や》めた。他の者たちはその男のために道を開《あ》けた。この男を見ると、その可哀そうな人間はその男の肩に倒れかかって、しゃくりあげて泣きながら、飲用泉の方を指さした。その飲用泉のところでは、何人かの女たちがあの動かぬ包みのようなものの上に身を屈めたり、それの近くを静かに動いたりしていた。だが、その女たちも男たちと同様に黙っていた。
「おれにはすっかりわかってるよ、すっかりわかってるよ。」とその最後に来た男が言った。「しっかりしろよ、なあ、ガスパール★! あの可哀そうな小《ちっ》ちゃな玩具《おもちゃ》の身にとってみれあ、生きてるよりはああして死ぬ方がまだしもましなんだ。苦しみもせずにじきに死んだんだからな。あれが一時間でもあんなに仕合せに生きていられたことがあったかい?」
「おいおい、お前は哲学者じゃのう。」と侯爵が微笑《ほほえ》みながら言った。「お前は何という名前かな?」
「ドファルジュと申します。」
「何商売じゃ?」
「侯爵さま、酒屋で。」
「それを拾え、哲学者の酒屋。」と侯爵は、もう一枚の金貨を
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