ね」と、クラチットの主婦《かみ》さんは云った。
「お前も会って話しをして見たら、一層にそう思うだろうよ」と、ボブは返辞をした。「私はね、あの方に頼んだら――いいかい、お聞きよ――何かピータアに好い口を見附けて下さるような気がするんだがね。」
「まあ、あれをお聞きよ、ピータア」と、クラチットの主婦《かみ》さんは云った。
「そして、それから」と、娘の一人が叫んだ。「ピータアは誰かと一緒になって、別に世帯を持つようになるのだわね。」
「馬鹿云え!」と、ピータアはにたにた笑いをしながら云い返した。
「まあまあ、そう云うことにもなるだろうよ」と、ボブは云った。「いずれその間《うち》にはさ、もっとも、それにはまだ大分時日があるだろうがね。しかし何日《いつ》どう云う風にして各自《めいめい》が別れ別れになるにしても、きっと家《うち》の者は誰一人あのちび[#「ちび」に傍点]のティムのことを――うん、私達家族の間に起った最初のこの別れを決して忘れないだろうよ――忘れるだろうかね。」
「決して忘れませんよ、阿父さん!」と、一同異口同音に叫んだ。
「そしてね、皆はあの子が――あんな小さい、小さい子だったが――いかにも我慢強くて温和《おとな》しかったことを思い出せば、そう安々と家《うち》の者同志で喧嘩もしないだろうし、またそんな事をして、あのちび[#「ちび」に傍点]のティムを忘れるようなこともないだろうねえ、私はそう思ってるよ。」
「いいえ、決してそんな事はありませんよ、阿父さん!」と、また一同の者が叫んだ。
「私は本当に嬉しい」と、親愛なるボブは叫んだ。「私は本当に嬉しいよ。」
クラチットの主婦《かみ》さんは彼に接吻した、娘達も彼に接吻した、二人の少年クラチットどもも彼に接吻した。そして、ピータアと彼自身とは握手した。ちび[#「ちび」に傍点]のティムの魂よ、汝の子供らしき本質は神から来れるものなりき。
「精霊殿!」と、スクルージは云った。「どうやら私どもの別れる時間が近づいたような気がいたします。そんな気はいたしますが、どうしてかは私には分かりませぬ。私どもが死んでるのを見たあれは、どう云う人間だか、なにとぞ教えて下さいませ。」
未来の聖降誕祭の精霊は前と同じように――もっとも、前と違った時ではあったがと、彼は考えた。実際最近に見た幻影は、すべてが未来のことであると云う以外には、その間に何の秩序もあるように見えなかった――実業家達の集まる場所へ彼を連れていった。が、彼自身の影は少しも見せてくれなかった。実際精霊は何物にも足を留めないで、今所望された目的を指してでもいるように、一直線に進んで行った。とうとうスクルージの方で一寸待って貰うように頼んだものだ。
「只今二人が急いで通り過ぎたこの路地は」と、スクルージは云った。「私が商売をしている場所で、しかも長い間やっている所で御座います。その家が見えます。未来における私はどんな事になっていますか。なにとぞ見せて下さいませ!」
精霊は立ち停まった。その手はどこか他の所を指していた。
「その家は向うに御座います」と、スクルージは絶叫した。「何故《なぜ》貴方は他所《よそ》を指すのですか。」
頑として仮借する所のない指は何の変化も受けなかった。
スクルージは彼の事務所の窓の所へ急いで、中を覗いて見た。それは矢張り一つの事務所ではあった。が、彼のではなかった。家具が前と同じではなかった。椅子に掛けた人物も彼自身ではなかった。精霊は前の通りに指さしていた。
彼はもう一度精霊と一緒になって、自分はどうしてまたどこへ行ってしまったかと怪しみながら、精霊に随いて行くうちに、到頭二人は一つの鉄門に到着した。彼は這入る前に、一寸立ち停って、四辺《あたり》を見廻した。
墓場。ここに、その時、彼が今やその名を教えらるべきあの不幸なる男は、その土の下に横わっていたのである。それは結構な場所であった。四面家に取りかこまれて、生い茂る雑草や葭に蔽われていた。その雑草や葭は植物の生の産物ではなく、死の産物であった。また余りに人を埋め過ぎるために息の塞るようになっていた。そして、満腹のために肥え切っていた。誠に結構な場所であった!
精霊は墓の前に立って、その中の一つを指差した。彼はぶるぶる慄えながらその方に歩み寄った。精霊は元の通りで寸分変る所はなかった。而も彼はその厳粛な姿形に新しい意味を見出したように畏れた。
「貴方の指していらっしゃるその石の傍へ近づかないうちに」と、スクルージは云った、「なにとぞ一つの質問に答えて下さい。これ等は将来本当にある物の影で御座いましょうか、それともただ単にあるかも知れない物の影で御座いましょうか。」
精霊は依然[#「依然」は底本では「 然」]として自分の立って居る傍の墓石の方へ指を向けていた。
「人の行く道は、それに固守して居れば、どうしてある定まった結果に到達する――それは前以て分りもいたしましょう」と、スクルージは云った。「が、その道を離れてしまえば、結果も変るものでしょう。貴方が私にお示しになることについても、そうだと仰しゃって下さいな!」
精霊は依然として動かなかった。
スクルージはぶるぶる慄えながら、精霊の方に這い寄った。そして、指の差す方角へ眼で従いながら、打捨り放しにされたその墓石の上に、「エベネザア・スクルージ」と云う自分自身の名前を読んだ。
「あの寝床の上に横わっていた男は私なのですか」と、彼は膝をついて叫んだ。
精霊の指は墓から彼の方に向けられた、そしてまた元に返った。
「いえ、精霊殿、おお、いえ、いいえ!」
指は矢張りそこにあった。
「精霊殿!」と、彼はその衣にしっかり噛じりつきながら叫んだ。「お聞き下さい! 私はもう以前の私では御座いません。私はこうやって精霊様方とお交りをしなかったら、なった筈の人間には断じてなりませんよ。で、若し私に全然見込みがないものなら、何故こんなものを私に見せて下さるのです?」
この時始めてその手は顫えるように見えた。
「善良なる精霊殿よ」と、彼は精霊の前の地に領伏《ひれふ》しながら言葉を続けた。「貴方は私のために取り做して、私を憐れんで下さいます。私はまだ今後の心を入れ代えた生活に依って、貴方がお示しになったあの幻影を一変することが出来ると云うことを保証して下さいませ!」
その親切な手はぶるぶると顫えた。
「私は心の中に聖降誕祭を祝います。そして、一年中それを守って見せます。私は過去にも、現在にも、未来にも(心を入れ代えて)生きる積りです。三人の精霊方は皆私の心の中にあって力を入れて下さいましょう。皆様の教えて下すった教訓を閉め出すような真似はいたしません。おお、この墓石の上に書いてある文句を拭き消すことが出来ると仰しゃって下さい!」
苦悶[#「苦悶」は底本では「若悶」]の余りに、彼は精霊の手を捕えた。精霊はそれを振り放とうとした。が、彼も懇願にかけては強かった。そして、精霊を引き留めた。が、精霊の方はまだまだ強かったので、彼を刎ね退けた。
自己の運命を引っ繰り返して貰いたさの最後の祈誓に両手を差上げながら、彼は精霊の頭巾と着物とに一つの変化を認めた。精霊は縮まって、ひしゃげて、小さくなって、一つの寝台の上支えになってしまった。
第五章 大団円
そうだ! しかもその寝台の柱は彼自身の所有《もの》であった。寝台も彼自身のものなら、部屋も彼自身のものであった。別けても結構で嬉しいことには、彼の前にある時が、その中で埋め合せをすることの出来るような、彼自身のものであった。
「私は過去においても、現在においても、また未来においても生きます!」と、スクルージは寝台から這い出しながら、以前の言葉を繰り返した。「三人の精霊は私の心の中に在って皆力を入れて下さるに違いない。おお、ジェコブ・マアレイよ。この事のためには、神も聖降誕祭の季節も、褒め讃えられてあれよ。私は跪いてこう申上げているのだ、老ジェコブよ、跪いてからに!」
彼は自分の善良な企図に昂奮し熱中するのあまり、声まで途切れ途切れになって、思うように口が利けない位であった。先刻《さっき》精霊と啀《いが》み合っていた際、彼は頻りに啜り泣きをしていた。そのために彼の顔は今も涙で濡れていた。
「別段引き千断られてはいないぞ」と、スクルージは両腕に寝台の帷幄の一つを抱えながら叫んだ。「別段引き千断られてはいないぞ、鐶も何も彼も。みんなここにある――私もここに居る――(して見ると、)ああ云う事になるぞと云われた物の影だって、消せば消されないことはないのだ。うむ、消されるともきっと消されるとも!」
その間彼の手は始終忙しそうに着物を持て扱っていた。それを裏返して見たり、上下逆様に着て見たり、引き千断ったり、置き違えたりして、ありとあらゆる目茶苦茶のことに仲間入りをさせたものだ。
「どうしていいか分からないな!」と、スクルージは笑いながら、同時にまた泣きながら喚いた。そして、靴下を相手にラオコーンそっくりの様子をして見せたものだ。「俺は羽毛《はね》のように軽い、天使のように楽しく、学童のように愉快だよ。俺はまた酔漢《よっぱらい》のように眼が廻る。皆さん聖降誕祭お目出度う! 世界中の皆さんよ、新年お目出度う! いよう、ここだ! ほーう! ようよう!」
彼は居間の中へ跳ね出した。そして、すっかり息を切らしながら、今やそこに立っていた。
「粥の入った鍋があるぞ」と、スクルージはまたもや飛び上がって、煖炉の周りを歩きながら呶鳴った。「あすこに入口がある、あすこからジェコブ・マアレイの幽霊は這入って来たのだ! この隅にはまた現在の聖降誕祭の精霊が腰掛けていたのだ! この窓から俺は彷《さまよ》える幽霊どもを見たのだ! 何も彼もちゃん[#「ちゃん」に傍点]としている、何も彼も本当なのだ、本当にあったのだ。はッ、はッ、はッ!」
実際あんなに幾年も笑わずに来た人に取っては、それは立派な笑いであった、この上もなく華やかな笑いであった。そして、これから続く華やかな笑いの長い、長い系統の先祖になるべき笑いであった!
「今日は月の幾日か俺には分らない」と、スクルージは云った。「どれだけ精霊達と一緒に居たのか、それも分らない。俺には何にも分らない。俺はすっかり赤ん坊になってしまった。いや、気に懸けるな。そんな事構わないよ。俺はいっそ赤ん坊になりたい位のものだ。いよう! ほう! いよう、ここだ!」
彼はその時教会から打ち出した、今まで聞いたこともないような、快い鐘の音に、その恍惚状態を破られた。カーン、カーン、ハンマー。ヂン、ドン、ベル。ベル、ドン、ヂン。ハンマー、カーン、カーン。おお素敵だ! 素敵だ!
窓の所へ駆け寄って、彼はそれを開けた。そして、頭を突き出した。霧もなければ、靄もない。澄んで、晴れ渡った、陽気な、賑やかしい、冷たい朝であった。一緒に血も踊り出せとばかり、ピューピュー風の吹く、冷たい朝であった。金色の日光。神々しい空、甘い新鮮な空気。楽しい鐘の音。おお素敵だ! 素敵だ!
「今日は何かい」と、スクルージは下を向いて、日曜の晴れ着を着た少年に声を掛けた。恐らくこの少年はそこいらの様子を見にぼんやり這入り込んで来たものらしい。
「ええ?」と、少年は驚愕のあらゆる力を籠めて聞き返した。
「今日は何かな、阿兄《にい》さん」と、スクルージは云った。
「今日!」と、少年は答えた。「だって、基督降誕祭じゃありませんか。」
「基督降誕祭だ!」と、スクルージは自分自身に対して云った。「私はそれを失わずに済んだ。精霊達は一晩の中にすっかりあれを済ましてしまったんだよ。何だってあの方々は好きなように出来るんだからな。もちろん出来るんだとも。もちろん出来るんだとも。いよう、阿兄《にい》さん!」
「いよう!」と、少年は答えた。
「一町おいて先の街の角の鳥屋を知っているかね」と、スクルージは訊ねた。
「知っているともさ」と、少年は答えた。
「悧巧な子じゃ!」と、スクルージは云った。「まったくえ
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