を残らず側《わき》へ片寄せた。それからまた横になって、鋭い眼を寝台の周囲に放ちながら、じっと見張っていた。と云うのは、彼も今度は精霊が出現するその瞬間に、こちらから戦いを挑んでやろうと思ったからで、不意を打たれて、戦々《おどおど》するようになっては耐らないと思ったからである。
如才がないと云うことと、常にぼんやりしていないと云うことを自慢にしている、磊落なこせつかない[#「こせつかない」に傍点]質《たち》の紳士と云うものは、『字《じ》か素《す》か』と云うような子供の遊戯から殺人罪に到るまで何でも覚悟していると云うようなことを云って、冒険に対する自分の能力の範囲の広大なことを表現するものである。なるほど、この両極端の間には、随分広大で包括的な問題の範囲がある。スクルージのためにこれほど大胆不敵な真似は敢てしないでも、私は、彼が不思議な出現物の可なり広い範囲に対して覚悟をしていたことを、赤ん坊と犀との間なら何が出て来てもそんなに彼を驚かせなかったろうと云うことを信じて貰いたいと、諸君に向って要求することを意とするものではない。
ところで、スクルージはまず何物に対しても心構えはしていたようなものの、無に対しては少しも覚悟が出来ていなかった。従って、鐘が一時を打って、何の姿も現われなかった時には、恐ろしい戦慄の発作に襲われた。五分、十分、十五分と経っても、何一つ出て来ない。その間彼は寝台の上に、燃え立つような赤い光の真只中《まっただなか》に横になっていた。その光は、時計が一時を告げた時に、その寝台の上を流れ出したものである。そして、それがただの光であって、しかもそれが何を意味しているか、何をどうしようとしているのか、さっぱり見当を附けることが出来なかったので、スクルージに取っては十二の妖怪が出たよりも一層驚駭すべきものであった。時としてはまたその瞬間に自分が、それと知るだけの慰藉さえも持たないで、自然燃焼の興味ある実例に陥っているのじゃあるまいかと、怖ろしくもあった。が、最後に彼も考え出した――それは読者や著者の私なら最初に考え附いたことなのだ。と云うのはこういう難局に当ってはどう云う風にせねばならぬかと云うことを知って、またきっとそれを実行するであろうところのものは、常に難局の中にある者ではない。当事者以外の者であるからである。――で、私は云う、最後に彼もこの怪しい光の本体と秘密とは隣室にあるのじゃないか、更に好くその跡を辿って見ると、どうもその光はそこから射して来るようだからと云うことを考え附いた。この考えがすっかり頭の中を占領すると、彼はそっと起き上がって、上靴《すりっぱ》を穿いたまま戸口の方へ足を引き摺りながら歩み寄った。
スクルージの手が錠にかかったその刹那、耳慣れぬ声が彼の名を喚んで、彼に中に這入れと命じた。彼はそれに従った。
それは自分の部屋であった。それに毛頭疑いはない。ところが、それが驚くべき変化を来していた。四方の壁にも天井にも生々した緑葉が垂れ下がって、純然たる森のように見えた。その到るところに、きらきらとした赤い果実《このみ》が露のように燦めいていた。柊《ひいらぎ》や寄生木や蔦のぱりぱりする葉が光を照り返して、さながら無数の小形の鏡が散らかしてあるように見えた。スクルージの時代にも、マアレイの時代にも、また幾十年と云う過ぎ去った冬季の間にも、この化石したような冴えない煖炉がついぞ経験したことのないような、それはそれは盛んな火焔が煙突の中へぼうぼうと音を立てて燃え上っていた。七面鳥、鵞鳥、猟禽、家禽、野猪肉、獣肉の大腿、仔豚、腸詰の長い巻物、刻肉饅頭《ミンスパイ》、|李入り菓子《プラムプッディング》、牡蠣の樽、赤く焼けている胡桃、桜色の頬をしている林檎、露気の多い蜜柑、甘くて頬の落ちそうな梨子、非常に大きなツウェルブズ・ケーク、ポンス酒の泡立っている大盃などが各自の美味《おい》しそうな湯気を部屋中に漲らして、一種の玉座を形造るように、床の上に積み上げられていた。この長椅子の上に、見るも愉快な、陽気な巨人がゆったりと構えて坐っていた。彼はその形において豊饒の角に似ないでもない一本の燃え立つ松明を持っていたが、スクルージが扉の後《うしろ》から覗くようにして這入って来た時、その光を彼に振り掛けようとして、高くそれを差し上げた。
「お這入り!」と、幽霊は叫んだ。「お這入り! そして、もっと好く俺《わし》を御覧よ、おい!」
スクルージはおずおず這入って、この幽霊の前に頭を垂れた。彼は今や以前のような強情なスクルージではなかった。で、精霊の眼は朗らかな親切らしい眼ではあったけれども、彼は眼を上げてその眼にぶつかることを好まなかった。
「俺《わし》は現在の降誕祭《クリスマス》の幽霊じゃ」と、精霊は云った。「俺《わし》
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