のために記憶《おぼ》えて置くように、好く気を附けなさい!」
 この言葉を云い終わった時、幽霊は卓子の上から例の繃帯を取って、以前と同じように、頭のまわりにそれを捲きつけた。その顎が繃帯で上下一緒に合わさった時に、その歯の立てたガチリと云う音で、スクルージもそれと知った。彼は思い切って再び眼を挙げて見た。見ると、この超自然の訪客は腕一杯にぐるぐるとその鎖を捲きつけたまま、直立不動の姿勢で彼と向い合って立っているのであった。
 幽霊はスクルージの前からだんだんと後退りして行った。そして、それが一歩退く毎に、窓は自然に少しずつ開いて、幽霊が窓に達した時には、すっかり開き切っていた。幽霊はスクルージに傍へ来いと手招ぎした、スクルージはその通りにした。二人が互に二歩の距たりに立った時、マアレイの幽霊はその手を挙げて、これより傍へ近づかないように注意した。スクルージは立停まった。これは相手の云うことを聴いて立ち停まったと云うよりも、むしろ吃驚して恐れて立ち停まったのであった。と云うのは、幽霊が手を挙げた瞬間に、空中の雑然たる物音が、連絡のない悲嘆と後悔の響きが、何とも云われないほど悲しげな、自らを責めるような慟哭の声が彼の耳に聞えて来たからである。幽霊は一寸耳を澄まして聴いていた後で、自分もその悲しげな哀歌に声を合せた。そして、物寂しい暗夜の中へうかぶように出て行った。
 スクルージは、自分の好奇心に前後を忘れて、窓の所まで随いて行った。彼は外を眺め遣った。
 空中は、落着きのない急ぎ足で彼方此方をうろつき廻り、そして、歩きながらも呻吟している妖怪変化で満たされていた。そのどれもこれもがマアレイの幽霊と同じような鎖を身につけていた、中に二三の者は(これは有罪会社の輩かも知れない)一緒に繋がれていた。一として縛られていないのはなかった。存命中スクルージに親しく知られて居たものも沢山あった。彼は、白い胴服《チョッキ》を着て、踵に素晴らしく大きな鉄製の金庫を引きずっている一人の年寄の幽霊とは生前随分懇意にしていたのであった。その幽霊は、下の入口の踏段の上に見えている赤ん坊を連れた見すぼらしい女を助けてやることが出来ないと云うので、痛々しげに泣き喚いていた。彼等全体の不幸は、明かに、彼等が人事に携わってそれを善くしようと望んでいて、しかも永久にその力を失ったと云う所にあるのであった。

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