もこんな回復《とりかへし》の付かない事を何で私は為ましたらう! 貫一さん、貴方の罰《ばち》が中《あた》つたわ! 私は生きてゐる空《そら》が無い程、貴方の罰が中つたのだわ! だから、もうこれで堪忍して下さい。よ、貫一さん。
 さうしてとてもこの罰の中つた躯《からだ》では、今更どうかうと思つても、願なんぞの※[#「※」は「りっしんべん+(篋−竹)」、390−5]《かな》ふと云ふのは愚な事、未《ま》だ未だ憂目《うきめ》を見た上に思死《おもひじに》に死にでも為なければ、私の業《ごう》は滅《めつ》しないのでせうから、この世に未練は沢山有るけれど、私は早く死んで、この苦艱《くげん》を埋《う》めて了つて、さうして早く元の浄《きよ》い躯《からだ》に生れ替《かは》つて来たいのです。さう為たら、私は今度の世には、どんな艱難辛苦《かんなんしんく》を為ても、きつと貴方に添遂《そひと》げて、この胸に一杯思つてゐる事もすつかり善く聴いて戴《いただ》き、又この世で為遺《しのこ》した事もその時は十分為てお目に掛けて、必ず貴方にも悦《よろこ》ばれ、自分も嬉《うれし》い思を為て、この上も無い楽い一生を送る気です。今度の世には、貫一さん、私は決してあんな不心得は為ませんから、貴方も私の事を忘れずにゐて下さい。可《よ》うござんすか! きつと忘れずにゐて下さいよ。
 人は最期《さいご》の一念で生《しよう》を引くと云ふから、私はこの事ばかり思窮《おもひつ》めて死にます。貫一さん、この通だから堪忍して!」
 声震はせて縋《すが》ると見れば、宮は男の膝《ひざ》の上なる鋩《きつさき》目掛けて岸破《がば》と伏したり。
「や、行《や》つたな!」
 貫一が胸は劈《つんざ》けて始てこの声を出《いだ》せるなり。
「貫一さん!」
 無残やな、振仰ぐ宮が喉《のんど》は血に塗《まみ》れて、刃《やいば》の半《なかば》を貫けるなり。彼はその手を放たで苦き眼《まなこ》を※[#「※」は「目+爭」、391−3]《みひら》きつつ、男の顔を視《み》んと為るを、貫一は気も漫《そぞろ》に引抱《ひつかか》へて、
「これ宮、貴様は、まあこれは何事だ!」
 大事の刃を抜取らんと為れど、一念|凝《こ》りて些《ちと》も弛《ゆる》めぬ女の力。
「これを放せ、よ、これを放さんか。さあ、放せと言ふに、ええ、何為《なぜ》放さんのだ」
「貫、貫一さん」
「おお、何だ」
「私は嬉い。もう……もう思遺《おもひのこ》す事は無い。堪忍して下すつたのですね」
「まあ、この手を放せ」
「放さない! 私はこれで安心して死ぬのです。貫一さん、ああ、もう気が遠く成つて来たから、早く、早く、赦《ゆる》すと言つて聞せて下さい。赦すと、赦すと言つて!」
 血は滾々《こんこん》と益す流れて、末期《まつご》の影は次第に黯《くら》く逼《せま》れる気色。貫一は見るにも堪《た》へず心乱れて、
「これ、宮、確乎《しつかり》しろよ」
「あい」
「赦したぞ! もう赦した、もう堪……堪……堪忍……した!」
「貫一さん!」
「宮!」
「嬉い! 私は嬉い!」
 貫一は唯胸も張裂けぬ可く覚えて、言《ことば》は出《い》でず、抱《いだ》き緊《し》めたる宮が顔をば紛《はふ》り下つる熱湯の涙に浸して、その冷たき唇《くちびる》を貪《むさぼ》り吮《す》ひぬ。宮は男の唾《つばき》を口移《くちうつし》に辛《から》くも喉《のど》を潤《うるほ》して、
「それなら貫一さん、私は、吁《ああ》、苦《くるし》いから、もうこれで一思ひに……」
 と力を出《いだ》して刳《えぐ》らんと為るを、緊《しか》と抑へて貫一は、
「待て、待て待て! ともかくもこの手を放せ」
「いいえ、止めずに」
「待てと言ふに」
「早く死にたい!」
 漸《やうや》く刀を※[#「※」は「てへん+宛」、392−11]放《もぎはな》せば、宮は忽《たちま》ち身を回《かへ》して、輾《こ》けつ転《ころ》びつ座敷の外に脱《のが》れ出づるを、
「宮、何処《どこ》へ行く!」
 遣《や》らじと伸《の》べし腕《かひな》は逮《およ》ばず、苛《いら》つて起ちし貫一は唯|一掴《ひとつかみ》と躍り被《かか》れば、生憎《あやにく》満枝が死骸《しがい》に躓《つまづ》き、一間ばかり投げられたる其処《そこ》の敷居に膝頭《ひざがしら》を砕けんばかり強く打れて、※[#「※」は「足+(殕−歹)」、392−14]《のめ》りしままに起きも得ず、身を竦《すく》めて呻《うめ》きながらも、
「宮、待て! 言ふことが有るから待て! 豊、豊! 豊は居ないか。早く追掛けて宮を留めろ!」
 呼べど号《さけ》べど、宮は返らず、老婢は居らず、貫一は阿修羅《あしゆら》の如く憤《いか》りて起ちしが、又|仆《たふ》れぬ。仆れしを漸く起回《おきかへ》りて、忙々《いそがはし》く四下《あたり》を※[#「※」は「
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