下に深く凹んだ眼を持っている。その眼には妙に青い冷たい光りがある。彼はその眼でじっと一つ一つ物を見据える。その時彼の眼と見られた物との間には、一種の無形の強い連鎖が生ずる。そして何物かが彼の方へ流れ込む。私の力ではそれを止めることは出来ない。そして今にも彼はじっと私の方へその眼を向けようとしている。もし彼があの眼で私の魂をじっと見つめるとしたら……。私は決して油断してはいけないんだ。
それから私は一週間毎日カフェーに通って、彼が火曜と金曜とにしか来ないことを発見した。それは彼の正体をつきとめるのに非常の便利を与えることだと私は思った。
一体私は火曜と金曜とが一番嫌いな日なんだ。私の美しい従妹も火曜に病にかかって、二週間後の金曜の夕方死んでしまった。火曜と金曜と彼奴とが私の心の中にくるくると廻転して妙な謎を拵える。それが今私をそそのかしているんだ。然し私はその謎にうち勝ってみせなければいけないんだ。私は彼奴をもっとよく見なければならないんだ。そして力を養うために、火曜と金曜との外はそのカフェーに寄ってはいけない。私は彼に戦を宣するのだ。何物かが後ろから私をぐんぐん押している。
――金曜の夕方私は家を早く出た。そして長い間歩き廻った後そのカフェーの前に立ち止った。その時すーっと私の心から逃げ出したものがある。はっと思って私はその前を通りすぎてしまった。
その晩星が美しく空に一杯輝いていた。その星を見ていたら私の心が静まった。それで私は又カフェーの前に立った。
私は扉を押した。中から何かが強くそれを押えて居る。それで力一杯に押してやった。すると音もなく開いた。
私はつと身を入れた。凡てのものが一時にぱっと飛び出して来た。瓦斯灯と卓子と蘇鉄と煖炉の真黒い煙筒とそれから壁に懸っている風景画とが。そして次の瞬間にそれらは一斉に息を潜めて私の心の中に静まり返った。私は自分の心の澄徹した緊張に力を得た。それでじろりと室の中を見廻してやった。
果して彼が居た。私の方に背中を向けて例の窓に近い卓子に倚っている。そしてただじっとしている。
私はその時力強く歩いて奥の円い卓子の処へ行った。その時わざと彼の方を向いてその卓子の上を見てやった。其処に菓子と珈琲のタッセとがあった。私は直覚的に珈琲と云うことを知ったのだ。そして女中に菓子と珈琲とをくれと云った。私はそれで安堵して
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