彗星の話
豊島与志雄

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)片田舎《かたいなか》に

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)十|尺《しゃく》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#「なのだ。」は底本では「なのだ」]
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      一

 むかし、ギリシャの片田舎《かたいなか》に、ケメトスという人がいました。小さい時に両親《ふたおや》を失って、お祖父《じい》さんの手で育てられていましたが、非常な乱暴者で、近所の子供達と喧嘩《けんか》をしたり、他人の果樹園に忍び込んで、林檎《りんご》や無花果《いちじく》の実を盗んだり、野山を駆け廻ったりして、その日その日を遊び暮らしていました。
 お祖父さんは非常に心配して、いろいろ言い聞かせましたけれど、ケメトスは耳にも入れませんでした。
 空に星がいっぱい輝いてるある晩、お祖父さんが庭を歩いていますと、上から石ころみたいなものが飛んできて、すぐ前に落ちました。拾い上げてみると、それは大きな林檎でした。お祖父さんはびっくりして、林檎が飛んできた方を仰ぎ見ました。すると、そこの屋根の上にケメトスが、星の光で林檎をかじりながら、にこにこ笑っていました。――そんなことが何度もありました。
「ケメトスの行末《ゆくすえ》が気になる」とお祖父さんは眉《まゆ》をひそめました。
 お祖父《じい》さんは考えたすえ、ある時ケメトスを側に呼んで、今まで隠していたことを話してきかせました。
「ケメトスや、わしの言うことをよく聞くがよい。……お前が生まれる時に、わしは庭に出ていた。空一面に星が輝いてる晩だった。お前が無事に生まれるようにと心で祈りながら、ぼんやり空を見上げていた。すると、一際《ひときわ》強く光ってる星がわしの眼にとまった。しばらくすると、その星がすーっと流れて、瞬《またた》くまに消え失せてしまった。ちょうどその時に、家の中から、お前の産声《うぶごえ》が聞こえてきたのだ。
 わしには、そのことがいつまでもわすれられない。星が流れるのは、ことに一際輝いてる星が流れるのは、悪い知らせなのだ。お前が生まれる時に星が流れたのは、お前の運命がよくないという知らせだ。
 だが、運命というものは、ある点まで自分の手でこしらえ直すことが出来る。わしのように老人になると、そのことがはっきりわか
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