が相反するのは、市内電車の、終電車と始発電車である。これは空気の澄明の度合や他の騒音の度合によるのであろうが、終電車の音は、眠たげで重々しく鈍く、始発電車の音は、晴れやかで軽く鋭い。然るに、電車の内部はどうであるか。終電車の乗客は、僅かな例外を除いて、そして女給車などを除いて、みな鋭く眼を光らせ、表情を緊張させ興奮の色まで帯びて、精力的である。始発電車の乗客は、やはり僅かな例外を除いて、みなうとうとしており、頬の肉はたるみ、蒼ざめ疲れはてて、少しの元気もない。知らない者は恐らく反対の想像をするであろうが、実状はまさしくそうである。この、深夜の乗客が元気であり、早朝の乗客が疲れはててるということが、何を語るかは別問題として、その実状は、電車の音響とまさしく正反対で、終電車の音は疲れはてており、始発電車の音は元気である。その音とその実景と、これほど相反するものは他に少い。
*
常住不断に秒をきざんでる時計に、もし意識があって、自分で自分の音をきき続けたら如何でしょう、と尋ねた男がある。自分は現在その時計だ、と彼は云うのである。
初め、腸狭窄で手術を受けてから、病気や手術に対する恐怖のあまり、始終腹鳴りが気にかかっていた。そしていつしかその方へ極度の注意力が集中され、ごく微細な腸の鳴動もきき分けられるようになった。それが腸ばかりでなく、ひいては胃中の液体の音も聞きとられ、やがては、些細な気管の故障にも、呼吸音が聞き分けられた。そうなると、もう停止するところを知らず、平常でも、肺に出入する空気の音は固より、心臓の鼓動まで聞えてくる。云わば、常に自分の身体各部に聴診器をあててじっときき入ってるのと、全く同じ状態になってしまった。
彼はそれを神経衰弱のせいだとし、幻覚妄聴のせいだとしようとして、ひどく努力した。然し耳を自分の身体内部からそらすことが出来ず、呼吸と血の循環との規則的な音に、胃腸の蠕動の不規則な音が交錯して、その騒音に始終神経を刺激され、睡眠もよくとれないのだった。身体の内部は、暴風と激流と震動とのみで、いささかの静安もないのだ、と彼は云う。
そして彼は遂に発狂した。
思うに、彼の聴覚は触覚をもまきこみ、更にあらゆる内部感覚をもないまぜて、体内に大騒音を拵えだしたのであろうが、そうした騒音を記録出来ないものであろうか。
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隣室の私語はひどく神経を刺戟するものであるが、それよりも、襖一重の隣室で、ペンの音を立て、原稿紙の音をさせるのは、更に神経を刺戟するものだとは、某氏の言である。
支那には、隣室の紙声枕に通って転々すと、表現の妙を極めた卑猥な文句があるが、全然精神的な意味に於て、隣室のペンと原稿紙との音が枕に通って眠られないとは、如何にもありそうなことである。そしてこういう不眠は、どうにもやりばのない性質のものらしく思われる。それは、秋の深夜など、窓外の木の茂みに、さらさらと、風の音とも雨の音ともつかないものを耳にして、何かしらうすら寒く心がおののくことのある、あの不安と、同じ性質のものらしい。空虚な精神の危機である。
底本:「豊島与志雄著作集 第六巻(随筆・評論・他)」未来社
1967(昭和42)年11月10日第1刷発行
入力:tatsuki
校正:門田裕志
2006年4月25日作成
青空文庫作成ファイル:
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