っくり返してみると、底の方に、か細い白根が腐らずに残っていた。でもそれだけでは、大きな鉢には足りないような気がした。で更に植木屋から、白蓮と紅蓮との苗根を一株ずつ取寄せ、その上田舎の老人に頼んで、普通の食用蓮の苗根をも取寄せ、それらを逆様に鉢の中へ植え込んだ。そして植木屋から聞き知った肥料として、大豆と干鯡とを与えた。
 所が春がたけていっても、蓮の芽はなかなか出なかった。其代りに、鉢一面にぎらぎらとした油が浮き、青褐色の苔が泥の面に拡がっていった。そして六月のはじめ頃になって、小さな蓮の芽が出だしたけれども、その巻葉が開きかけると、しなしなと横に倒れて、四五寸くらいの大きさにしかならず、それもやがて縁の方から枯れていった。そしてただ油と水苔とだけが、鉢の中一杯に漂い浮び、泥の中からは泡が立ち、物の腐爛した臭気が発散して、清浄な蓮の花も匂いもその気配だに見せないで、いじけた小さな五六枚の葉だけが、枯れ残ってるのみだった。初め私は、蓮を盛んに肥らせるために、大豆を一合ばかりと干鯡を七八本やったのであるが、それが余りに多すぎて、蓮は肥料負けしてしまったのである。
「余り御馳走をやったので、消化不良になってしまった、」と私は、友人や叔父や田舎の老人などに答えた。そして鉢の中の油や水苔を、しきりに掬い出したけれど、また後から生じてくるし、鉢の中の泥全体が腐れ爛れたようになって、臭くて穢くて手のつけようがなかった。
 植物の消化不良も、人間のそれと同じように、治療甚だ困難なものである。その上、自然の大地に於てならば、肥料はやがて地下深くへか四方へか、次第に放散してしまうであろうが、瀬戸の鉢の中に於ては、放散すべき場所がなくて、いつまでも其処に残っている。消化不良のいじけた小さな蓮では、それをなかなか吸収し了せるものではない。うっかりすれば、蓮の方が肥料の毒気に窒息させられるかも知れない。と云って、今更泥土を取換えるのは、夏の盛時に猶更危険である。私は悲しい気持で、ぼんやり蓮鉢を見守るの外はなかった。
 ただ一つ私の心を慰めたことには、その蓮の葉を一枚、盂蘭盆[#「盂蘭盆」は底本では「孟蘭盆」]の折、亡父と亡児との位牌のある仏壇に供えることが出来たのである。
「どうせ駄目な蓮ですから、葉を一枚取っても宜しいでしょう、」と妻は云って、一番新らしい綺麗な葉を切り取った。そして洗い清めたのを見ると、小さくはあるが、湍々していて、仄かな匂いをも持っていた。八百屋から来た蓮の葉に比べると、新しいだけに色艶もよかった。
 それだけのことを唯一の収穫にして、私はいつしか蓮鉢を忘れがちになった。年を越して昨年の春、鉢の泥を半ば取換えてやろうかとも思ったが、それもつい不精から時期を過してしまった。そして暖くなるにつれて、鉢の中は油ぎってねちねちしてきたが、それと共に、一つ二つ蓮の巻葉が出だしてきた。強すぎる肥料のしみた泥土の中にも、根だけは生き残っていたものと見える。伸び出した葉は、前年と同じように小さないじけたものだったが、それだけにまた可憐でもあった。私はもう、花は勿論大きな葉をも期待せずに、その小さな葉だけで満足した。
 七月の末から、私は妻や子供と一緒に、房州の外海岸へ行って、一夏を其処で過した。盛んに繁茂してる蓮田を見ると、自分の貧弱な鉢が思い出された。そして九月のはじめ家に帰ってきて、私は少なからず驚かされた。庭の鉢から、相当に大きな葉が、七八本も、真直に伸び出していた。
「花は……、」と留守の女中に私は尋ねた。咲かなかったという答えだったが、別に失望もしなかった。それだけ葉が生い茂るようでは、来年あたり花をつけるかも知れない、と私は思った。どうだい……という得意の眼付で、妻の顔を見返したし、またやがて、友人や叔父の顔をも見返してやった。
 ただ悲しいことには、蓮の葉の裏面や柄に、油虫が沢山群っていた。鉢の上方に桃の一枝がさし出ていて、それから伝播したものらしい。私は惜し気もなくその桃の枝を切り去り、それから蓮の葉の油虫を鏖殺してやった。蓮の葉は勢を得たように、青々と茂っていった。もう余分の肥料も泥土に吸いつくされたらしく、水がさっぱりと澄んで、青い藻まで生えていて、蓮池特有の匂いも、気のせいばかりでなく実際に感ぜられた。それから霜時になると、枯蓮の趣きも充分に見られた。
 そして、冬を越して今年の春である。今日彼岸の入りに、藁の覆いを取去ってみると、鉢の泥は肥えて黒ずみ、水は冷く澄み返り、所々に枯葉の柄が残っている。今に其処から、青々とした巻葉が伸び出し、それが円く大きく拡がって露のしずくを宿す頃には、更に花の蕾が伸び出してきて、夜明の光に音を立ててぱっと開くであろう、などと想像すると私は、蓮のうてなに坐すような清浄な心境を覚ゆる。それにして
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