槍……白馬はどれ……。」などと云う。その時彼は既に、山の霊気に包み込まれて、その中に生きているのである。
海抜一万尺に近い連峰を前にして、それらの連峰の一つ一つを呼ぶに、例えば、槍ヶ岳、穂高岳、などと云うことと、槍、穂高、などと云うこととの間には、云う気持に大なる違いがある。前者は、平地から遠く望む人々の無関心な呼称である。後者は、身自らその境地にはいった人々の心からの呼称である。その中には、親愛の感じと神聖の感じとが含まれている。
「槍ヶ岳が……穂高岳が……大天井岳か……。」
「槍が……穂高が……大天井が……。」
この二つの表現を並べて、試みにそれを口の中でくり返す時、如何に両者の間に遠い距離があることか。まして、それらの高峰の肩に身を置く場合、両者が全く異った感じのものであることは……ただ知る人ぞ知る、説明しようとしても出来ない。
神に対して呼びかくる時、西欧の言葉に従えば……その原語を試みに邦語に直せば……「なんじ」である。他の二人称ではない。「神よ、あなたは……君は……お前は……閣下は……殿下は……貴殿は……あなた様は……。」其他如何なる呼称も、「神は」につかない。ただ一
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