つ、「神よ、なんじは……。」それで初めて、「神よ」という呼気が生き上る。
人々に神を「なんじ」と呼ばしむるものは、神の有する霊気である。その霊気は、一方に人を親しませなずかしめると共に、他方にまた、人に厳粛なる畏敬の念を起させる。そして人はその霊気に打たれて、親愛な而も神聖な心持を以て、「神よ、なんじは……。」と呼びかけてゆく。
槍ヶ岳に対して「槍は……」と云うことは、神に対して「なんじは……」と云うことと、相通ずる語気である。信仰者の心を以てすれば、神に対して「なんじは……」となり、真の登山者の心を以てすれば、槍ヶ岳に対して「槍は……」となる。神の霊気が……山岳の霊気が、人の心を打って惹きつけるのである。
不思議なのは、語気の持つ感じである。奥深い感情をも直接に現わす語気、それが如何に不思議なものであることか。
それにしても、燕岳の肩に辿りついて、日本アルプス連山を一眸の下に集め、「槍が……穂高が……」とおのずから出る語気、その語気の底に籠ってる心境こそは、一度経験した者は生涯忘れ得ないであろう。
底本:「豊島与志雄著作集 第六巻(随筆・評論・他)」未来社
1967(昭和42)年11月10日第1刷発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:tatsuki
校正:門田裕志
2006年4月22日作成
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