、女将さんとしては、再び祭るつもりではいたのです。そこへ、達吉からの話となり、女将さんはすっかり驚きました。伏見稲荷ということまで、どうして分ったのでしょうか。この前の、資金のことや、商売のやり方のことなども、そっくり腑に落ちるし、こんどの話は、一層胸にこたえました。商売柄、易者とか占い者とか、いろんなひとが来たことがありましたが、どこか空々しい感じでした。それが、今回は違います。達吉の母の友だちだとかいうことですが、どういうひとなのでしょうか。
 女将さんは、もとは芸妓をしていたことがあり、もう六十歳を越していて、まだ元気で勝気でした。そして一徹な気象で、単純で、性急でした。達吉の母親の友だちというそのひとに、すっかり惚れ込んで、是非とも連れて来てほしいと達吉に依頼しました。丁度、建て増しのために、庭師もはいっているし、稲荷さんを祭るには、早速場所の選定をしなければならないから、それをそのひとにして貰うことにし、そして自分は、伏見稲荷の御礼を受けに、京都へ出かけて行き、日取りは帰ってきてから打合せようと、言い置きました。
 達吉の話を聞いて、小泉さんもさすがに慌てました。A女のところへ飛んで来て、なんとかしてほしいと頼みました。
 A女は眉をひそめました。
「だから、わたくし、初めから言っておいたじゃありませんか。」
「ええ、それはそうですけれど、まさか、こんなことになろうとは思わなかったものですから……。」
「わたくしはまだ、自分の信仰の道を、売り物にはしたくありませんの。松しまさんのことだから、謝礼とかなんとか、そんなことを言われるに違いありません。なんだか、普通の行者や易者などと、同じように見られてるような気がしますわ。」
「それは、わたくしからよく申しておきましょう。とにかく、考えなおしておいて下さいよ。頼みますわ。」
 小泉さんは遠慮して、しつっこくは言いませんでした。
 けれども、松しまの女将さんの方は、京都から帰ってくると、やたらに催促しました。達吉に毎度言づてするばかりか、小泉さんのところへ女中を寄来して、先方へ願ってほしいと頼みました。稲荷さんを祭る場所がきまらないので、庭師の仕事にも差支えて困っている、とのことでした。
 それを聞いては、A女も無下には断りかねました。名前だけはあくまでも祕して、という条件で、小泉さんと一緒に出かけて行くことにしました。
 約束の日に、A女は自分の身に御経がけをして出かけました。普通の行者なみに見られては忌々しいものですから、入念にお化粧をし、お召の着物に塩瀬の帯、紋付の羽織をひっかけました。小泉さんはA女より少し背が低く、なんだか付添いの女中のように見えました。
 松しまの入口は、手狭い洒落た造りで、そこをはいると、ゆるやかな上り勾配の地面に砂利を敷きつめたのが、思いがけなく広がり、突き当りに寒竹の茂みがあって、左手が玄関の式台となっています。
 A女はちょっと、寒竹の茂みの前に足を止めました。
 ――ここだ。
 音なき声がしましたが、彼女は素知らぬ顔をして、屋内へ通りました。
 女中に案内されて、一室に落着きますと、すぐに女将さんも出て来て、みごとな菓子や果物のもてなしがありました。女将さんは顔の色艶もよく、言葉もてきぱきしていまして、髪だけが老年らしく引きつめに結ってあります。いろいろなことを口早に饒舌りました。おもに昔のことで、縁日とか祭礼とか、お酉様の話まで出ました。それにまた、午前中のこととて客はありませんでしたが、用が多くて、しばしば席を立ちました。女中頭らしい年増の女が、女将さんの代りをつとめました。
 稲荷さんのことは、一向に持ち出されませんでした。いつまで待っても駄目らしいので、A女がそれとなく合図をしますと、小泉さんがそれを言い出してくれました。
 用件の話になると、こんどは急速にはかどりました。女将さんと女中頭とが、A女をあちこち案内しました。地所はまだ広く残っていますが、そこは将来の増築の場所ですし、庭の方にも思うような場所はなく、最後に、女将さんの居間の横手に連れてゆかれました。
「ここならどうかと思っておりますんですが……。」
 女将さんは初めからそこを物色していたらしいようでした。
 A女の胸にぴんときました。
 ――不浄の地。
 A女自身にもその理由は分りませんでしたが、静に言ってみました。
「ここはなんだか、不浄な場所のような気が致します。」
 女将さんと女中頭は顔を見合せて、頷きあいました。そして女将さんが言いますには、居間のそばだから丁度よいと思っていたが、言われてみれば、なるほど、そこの板塀の外が道路になっていて、夜分になると、立小便する人が多い、とのことでした。
 そこがだめだとなると、ほかにもう適当な場所はなさそうでした。女将さ
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