子の眼が底光りを帯びて、じっと見据えられたけれど、中江は何の反応も示さなかった。彼女は短い髪の毛をかき上げると、小泉の方へ苦笑に似たしなをして、活発に立上った。
 後に残った二人は、友人として、客間に対座したのだったが、それが中江にはへんに物珍らしかった。彼は近頃、どの旧友をも、ゆっくり訪れるということが殆んどなくなっていた。話は自然に、いろいろ知人の噂に及んでいった。先達て四五人集った時、中江に妻帯させようという陰謀が起りかけたと、そんなことまで小泉は話しだした。三十五歳過ぎの独身生活は、肉体的にも不自然だと、小泉は云うのだった。人間の身体はよくしたもので、これを比喩で云えば、需要供給の関係が自然と調和がとれるように出来ていて、資本の蓄積だの生産の過剰などということは、起らないようになっており、必要なだけの生産と必要なだけの消費とが、円滑に行われて、余計なものは単に通過させられるにすぎない。収支決算の帳尻がよく合っていくのだ。ところが、独身者の身体は、家計簿のない家庭のようなもので、収支の関係がめちゃくちゃになり、生産と消費との平衡がとれない。妻帯は一種の家計簿を備えつけることだ……。或はそうかも知れないと、中江は思うのだったが、現在の自分の経済的破綻――身体のことでなく、実際の生活の行き詰りが、大きく目についてきて、座にじっとしていられないような気が起ってくるのだった。
「尤も、あのひとのように……。」と小泉はふいに云っている。「あのひと、家庭を持ってやしないんだろうね。あのひとのように、やたらに貯蓄ばかりして、脂肪を皮下に死蔵するのは、まだいい方かも知れないが……。」
「いい体質じゃないんだね。」
「え?」と小泉は一寸眼をあげたが、「ああ、あのひとか、そんなところまでは分らないが、脂肪肥満は、とかく、新陳代謝の邪魔になることがあるようだね。」
 実際、どこか新鮮さの足りない身体だと、中江はまたもキミ子のことを考えるのだった。そこへ、小泉のところへ電話がとりつがれて、三時すぎに来て貰えまいかとの知人の頼みだった。折角の日曜もこれだからと、小泉は不平をこぼすのだったが、中江から見れば、研究旁々病院に勤めていて、知人の患者だけを面倒見てやる彼の落付いた生活が、余りに散漫で中心点のない自分の生活に比べて、羨ましくなるのだった。と共にまた、心の憂欝や実際的な悩みを、小泉
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