掴もうと、それくらいの腹だったのかも知れない。然し、単に旧社長の甥だからというだけではなく、これには何か西田が関係ありそうな気がした。少くとも、西田が工場内部で何かやっていることだけは明かだった。ところが、そう分ってはきたものの、以前は左翼闘士としての西田にあれほど好意を持ち、伯父の会社に周旋してやるほどの危険を敢てしたにも拘らず、今は殆んど何の関心も持ち得ない自分自身を見出して、中江はへんにうらぶれた気持になってゆくのを、どうすることも出来なかった。元来彼の性格として、首尾一貫する思想なり意思なりを持続することは甚だ少く、その代り、その時々の気分に囚われて自らそれを弁義《ジャスチファイ》することが多く、そのために、見たところでは、如何にも意志的で自信強そうに思わるるのだったが、そうした自己弁義のための反省は、彼を推進させる力とはならずに、現在の気分に沈湎させる用をしかなさなかった。そういう傾向が近頃では更にひどくなっていた。今も彼はそうした心理の渦みたいなところに巻きこまれて、それに僅かに逆らう気持から、以前の思想運動の仲間の動静や、ひいては多少とも西田のことまで、キミ子を使って探らしてみようかとも考えたのであるが、それも興味のもてない億劫さから、何の動きともならないで、ただ現在のうらぶれた無気力な気分に浸るばかりだった。そしてこのちらと動いた考えに、キミ子のことが浮んだのをきっかけに、また彼女のことを思い耽って、小泉のところで別れたきり電話もかけてこないのは、ふだん始終電話をかけてよこす彼女としては、どうしたことだろうと、そんなことが気になるのだった。
晩になって、夕食がすんでからも、中江は仕事もせず読書もせず、ただぼんやりしていた。そこへ、電話のベルが鳴ると、電気にでもふれたように飛び上った。果してキミ子からだった。――あれからどうなすったの、と尋ねてきた。あたしのことについて小泉さんと何をお話しなすったの、と尋ねてきた。今何をしていらっしゃるの、と尋ねてきた。どこにいるのかときいても笑って答えなかった。そして急にしおれた調子で、二十円だけ借して下さいというのだった。よろしいと鷹揚に答えると、彼女は調子を早めて、これから使の人をよこすからその人に渡して下さい、いずれ後でお話する、とそんなことを云ってしまって、さようなら、またあした……とだけで電話がきれた。
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