に困ることがよくあった。それでいつも紙巻は一箱ずつ買わして置いた。所が一箱の煙草が非常に早く無くなってしまった。私は驚いて少し節制しようと考えた。秀子も常から煙草の毒を説いていた。然し俄に量を減ずることも出来ないので、私ははる[#「はる」に傍点]にまた一箱買うように命じた。所がその一箱は中々買われなかった。そして古い箱の中に、もう空である筈の箱の中に、二袋か三袋かの煙草がいつもちゃんと並んでいた。それも策略だったのだ。秀子とはる[#「はる」に傍点]と二人でした策略だったのだ。私はいつのまにか、意志の上での無能力者として取扱われていたのだ。……そういうことが相次いで起ると、私は自分の云い付けがはる[#「はる」に傍点]に少しも徹底しないような不安を感じだした。私の命令は、途中ではる[#「はる」に傍点]と秀子との商議に上せられ、そしていい加減に勝手に取計らわれるらしかった。この不安が次第に私の頭へ深くはいり込んできた。そして遂には、はる[#「はる」に傍点]に用を頼むのも遠慮しがちになった。何たる馬鹿げたことであったか!
 斯くて私は子供を奪われ、女中を奪われて、孤立の自分を見出したのである。そして私の孤立を更に決定的なものたらしめたのは、私に対する秀子の態度であった。彼女は子供を中心にして家庭内のあらゆる機関を立て直し、あらゆる権利を手中に収め、そして子供の名に於て私に服従を求めたのである。私は服従せざるを得なかった。服従した上にも、種々の気兼ねをしなければならなかった。彼女の方には育児という正当な武器があった。私の方には無職という弱点があった。友人の紹介で得た飜訳の仕事も、気乗りがしなくて放り出していた。然し徒食しているのではなかった。その頃私は未来の文明批評家を以て自ら任じ、種々の研究を試みていた。然しそういう当もない机上の勤勉は、彼女の眼には大した価値も持たなかったし、また文明批評家という言葉の意味が空漠たると同じく、私の頭も空漠たる境地を彷徨して、何等確乎たる地盤をも有しなかった。彼女は私の未来を頼りなく思ったに違いない。私自身も実は余り頼り多く思ってはいなかった位だから。そういう不安から彼女は自分の方に責任を感じだし、自分の全権で家庭を立て直そうとしたのかも知れない。そして私を支持してゆくことを考えないで、子供を守り育てることをのみ考えたのかも知れない。然しそう
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