戦時中に厳守されてきたその規律は、終戦後、会社の事務が殆んど無くなった後まで、やはり残存していました。
「何を考えてるんだ。」
水町は相手の注意を促す時の癖で、卓上をこつこつと叩きました。
立川は眼を挙げました。そしてうっかり、社長矢野さんの家の欅に雷が落ちたことを言いだそうとして、唾をのみこみましたが、思い返して、また眼を伏せました。
「遅刻の理由を、はっきり説明したまえ。」と水町は太い声を出しました。
立川は没表情な顔で言いました。
「あとで始末書を書いて差出すことにします。どうせ仕事はありませんから……。」
水町は太い眉をぴくりと動かしましたが、何とも言いませんでした。その隙に、立川はお辞儀をしてその室から出ました。
彼は自席に戻って、紙と筆墨を用意しました。ぺンよりは毛筆で書くべきだと考えたのです。そして墨をすってるうちに、先ず弁当を食べることにしました。
同僚たちはなんだか不審そうな眼を彼に向けながら、弁当を食べていました。事務が殆んど無くなってから、新聞や雑誌や図書を読むのは自由でしたが、高声での無駄話はやはり禁ぜられていました。
立川の弁当には珍らしく米飯がはいっていました。それを箸でつっつきながら、彼の心を領している一種の哀感は更に深まるばかりでした。
あの、前夜の落雷の前から、彼はその哀感に浸っていました。哀感を以て見れば、周囲も自己もすべてが、硝子張りの中にでもあるかのように、或る距りを置いて眺められました。
その日、妹は矢野さんの家に手伝いに行きました。空襲があるようになってから、矢野さんのところでも人手が少くなり、母がちょいちょい手伝いに行っていましたが、その母が急に弱ってきてから、自然と妹が代りをするようになっていたのです。矢野さんのところには、事業関係の来客が数人あって、大した饗応だとのことでした。夜になって、妹は米飯と野菜の煮物をもらって帰ってきました。残りものだけれどお母さんにと、そういうことでした。その残飯を、粉飯ばかりの折柄に珍らしく美味しく、母と妹と彼と三人で食べました。母の配慮で、翌日の彼の弁当の量だけ取り除けられていました。食事をしながら、話は食物のことに向いがちでした。矢野さんのところの御馳走には、鯛の刺身[#「刺身」は底本では「剌身」]や車蝦の煮附や鰻の蒲焼やにぎり鮨などがあったとのことでした。その鮨に
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