三

 さて、ある日、空にむくむくと入道雲が出てきて、それがふくれ上がり延《の》び広がり、やがて空一面まっ黒になって、ざあーっと大粒《おおつぶ》の雨が降り出し、ごろごろと雷が鳴り始めた時、長者は庭の隅《すみ》のあずまやの中に出ていきました。そして、庭の大木に仕掛けた網の綱を足でふまえ、いざといえばすぐにその綱を引っ張って網を落とすようにして、それから、大きな金の日の丸の扇をあずまやの軒《のき》から差し出して、空に向かって両手であおぎながら、雷の神を招き落とそうとしました。
 扇には油が引いてありましたから、いくら雨に濡れても平気でした。ざーざーっと降る雨の中にも、金の日の丸はぴかぴか光りました。雨が少し小止《こや》みになって、雷が激しくなってきますと、ぴかりとする稲妻《いなづま》の蒼白《あおじろ》い光りを受けて、濡れた金の日の丸が、なお一層輝いてきました。
 雷《らい》の神は空の黒雲の中からふと、金の日の丸を見つけました。
「おや」
 そして自分の好きなそのぴかぴかした赤いものにひかされて、そこへ落ちようとしかけましたが、仕掛《しか》けがしてあることを思い出しました。
「うっかりあすこへ落ちたら大変だ」
 そう思って、なおかんしゃくを起こして、ひどく鳴りはためきました。
 長者《ちょうじゃ》の方でも一生懸命でした。金の日の丸の扇《おうぎ》で雷の神を招き落とさなければ、とうていその不思議な珠《たま》を手に入れることが出来ないのです。雨に濡れるのもかまわずに、あずまやの中から飛び出して、庭の中につっ立って、金の扇で招きました。
 そしてしばらく、雷の神と長者との争いが続きました
 するうちに、空の黒雲の縁《ふち》からのぞいていた雷の神は、あまりしつこく金の日の丸の扇で招かれるのがしゃくにさわってきました。そしてまた、その金の日の丸のぴかぴかしたいろに、知らず知らずひきつけられてゆきました。しまいには、辛抱《しんぼう》しきれなくなって、なかばかんしゃくまぎれに、なかばうっとりして、非常な勢いで、金の日の丸めがけて、一息《ひといき》に落っこってやりました。
 すさまじい電光《でんこう》と雷鳴《らいめい》と黒雲との渦巻《うずま》いた中に、金の日の丸がぴかりと光っただけで、後は何にもわかりませんでした。

 やがて、長者の家の人達が、正気《しょうき》づいて駆《か》けつけてみますと、庭の中が黒こげになっていて、長者は姿も見えませんでした。
 雷《らい》の神は、庭の高い大きな木に落ちるひまもなく、じかに金の日の丸の上に落ちかかったのでした。そして、その扇《おうぎ》を持ってた長者《ちょうじゃ》は、雷の神に打たれ焼かれて、雷の神が落ちるはずみに地面に出来た大きな穴の底に、ただ黒こげの骨だけとなって横たわっていました。
 それで、その時もやはり、雷の神が落ちて出来る穴の中に、雷の神と一緒に落ちるという不思議な白い珠《たま》を、誰も眼に見た者がなかったそうです。



底本:「豊島与志雄童話集」海鳥社
   1990(平成2)年11月27日第1刷発行
入力:kompass
校正:門田裕志、小林繁雄
2006年4月28日作成
青空文庫作成ファイル:
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