包を、千代次が開けてみると、赤い革の楊子入だ。いつも楊子を持ってたためしがないじゃないか、不用意な奴だな。そして依田ははっはっは……と笑っている。
そうなると、僕もやけに腰を落付けてしまった。やって来たふく子は僕には初めてのおとなしい妓だったし、依田が得意に与太をとばしてるので、千代次もふく子もその方にもって行かれて、僕は黙って酒をのむことが出来た。スピードをはやめて飲んだ。その僕の飲みっぷりを見やって、依田はふと首を傾げる。何を考えてるのか、不気味な存在だ。短く刈りこんだ硬い頭髪、裸になったら所々に黒子や痣がありそうな肥った胴体、贅肉のあり余った頬、皮膚の厚ぼったい手先、穏かな自己満足の眼付……一見したところ好人物らしいが、その重量のなかに非常な貪慾が潜んでいる。もうだいぶ酔ってきて、血液の多量を示す赤味を帯びている。血液の多量は貪慾の証拠だ。その方から眼を外らして、僕は煙草と酒とに頼ろうとした。自分の存在が彼の存在に気圧されて仕方がない。僕としてはダイヤか真珠しか買ってやれない気がしている千代次に、彼は戯れにせよ楊子入なんか買ってやって平然と笑っている。酒の時には千代次、冗談の時には千代ぼう、甘い話には千代ちゃんと、言葉の使い分けをする。彼女に対して君としか云ったことのない僕には、それらの呼び方が妬ましく聞える。が彼女には平気らしい。ヨタさんという綽名で依田に受け応えしている。ヨタさんと云われる度に、彼は得意げに微笑する。その微笑が僕の心を刺す[#「刺す」は底本では「剌す」]。卓の上には寄せ鍋が煮立っているが、床の間の青銅の鉢には、霧藻のかかった松の枝が寒そうにくねっている。その霧藻や白い苔を見つめていると、山奥の冷たい空気が胸に伝わる。佗びしいのだ。それが自分のことだか千代次のことだか分らない。そして何度か立上ろうとしたが、腰が動かない。酔ってもいないようだ。どうした、気球ロボット先生、と依田が声をかける。彼は気球ロボットの由来を話しているのだ。今日の『釣り女』は面白かった、気球ロボット先生の天女釣りと一ついこうじゃないか、なんかと、千代次とふく子の手を執って立上りながら、踊りの真似ごとをやりだそうとする。三味線が足りない、も一人呼んでくれ……。彼も酔っているらしい。僕も、踊るぞと立上った拍子に、ぞっと寒気《さむけ》がして、そのまま階段を降りて行った。帰るつ
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