る密閉した屋内に、爽かな冷い外気を吹入れるような調子で、マネキンガール――或はロボット――のことを話してやったものだ。が彼は、それから周囲の彼等は、何の感与も起さないらしい。彼等は僕のことを、非実用的なことばかり考えてる夢想家だと見做しているが、その夢想家の馬鹿げた空想の一つとして聞き流してしまった。然しそれは、彼等が気球広告をよく眺めていない証拠になるばかりだ。誰にでもいつかは気球広告をじっと眺める時がくる。彼等にも後でその時が来たに違いない。僕のことを気球ロボット先生と綽名するようになった。
気球ロボット先生というのは、僕としてそう嫌な綽名ではない。病後の自由と淋しさ。大都会のなかの孤独。気球もきっと同じ気持を感じてるに違いない。そして彼が常に寒い風に曝されてるように、僕の懐中も窮乏の寒さに曝されている。そのなかで、彼女に対する甘ったるい空想に耽るのだ。そんな時の金ほどつまらないものはない。僕は母をごまかして得たうちの百円を、喜久本の帳場に瓦礫のように惜しげもなく投げ出せたものだ。母は幾つかの指輪を持っていた。そのうちに、年老いてからは殆んど使わないダイヤが一つあった。それを暫く――次の賞与まで――貸してくれと僕は頼んだ。実は友人に古い借金があって、それをこんど返さねばならない義理になった、なんかと。そして、指輪を質屋に持って行くようなことをしなくても、どうにか工面してあげようという母を、無理に口説き落してしまった。母はうすうす僕の身持のことを気付いでいるらしかったが、それについては何とも云わない。命拾いをした息子、それだけが胸一杯になっているのだろう。僕の顔をやさしく見守って云うのだ。
「ほんとにねえ、お前さんに不自由はさせたくないんだけど……。」
その言葉だけで僕はもう沢山だ。不自由……と云えばやはり不自由には違いない。だが母だって、食べさせれば大黒屋の煮物をうまそうに食べた。涙を見せるのは恥だ。そのダイヤの指輪が質屋で百五十円になったのは、拾い物をしたようなものだった。それでも、僕の懐中は淋しい。懐手をして、百五十円の紙幣を押えて、街頭の一隅に佇んでいると、往き来の人々の顔が、どれもみな金銭を目指しているように見える。蜘蛛の巣のように四方八方に交錯している彼等の目的の方向は、みな金銭を終端に持ってるように思われる。金銭がなかったら、人々はこうも多忙では
前へ
次へ
全17ページ中10ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
豊島 与志雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング