れるだろう。学校校舎に贅沢な建物は不要だとの説がある。たとえバラックの中に於ても、精神さえ確固たらば、勉強は立派に出来るというのである。然しそれは、例えば日本内地に於て云い得ることで、支那の現状には通用しない。閉鎖放置されてる蘇州の東呉大学や済南の済魯大学などのイメージが、頭に深く刻まれてる支那インテリ青年は多かろう。北京の青年も、北京大学よりも燕京大学や輔仁大学に心惹かれる者が多い。建築の完備そのものは一種の魅力を持つし、且つは諸設備や学識に対する予感を左右する。
 輔仁大学には八ヶ国人の教授がおり、日本人も一人いる。新教授で支那語の出来ない者には、教授俸給を支給しながら、支那語の教師をつけ、二ヶ年間語学を修練させた後、はじめて教壇に立つことが許さるるのである。斯かる慎重な準備は、単に教師についてだけでなく、あらゆる方面で考えられてよいことである。学校の建物とても、準備の中の一つと見てよい。



底本:「豊島与志雄著作集 第六巻(随筆・評論・他)」未来社
   1967(昭和42)年11月10日第1刷発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:tatsuki
校正:門田裕志
2006年4月26日作成
青空文庫作成ファイル:
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