支那第一と解すべきであろうか、或は好晴な日が続く故と解すべきであろうか。少しく風の日には、やはり埃が舞い立ち、人の靴は白くなり、喉はからからになる。それが、春頃の紅塵万丈の日には、濃霧以上に視界を遮り、自動車は停止するという。
ところで、斯かる都市を、如何に評すべきであろうか。さまざまなものを豊富にしっくりと抱擁してる都市、そして中央に輪奐の美を誇る幾多の殿堂が聳え、楽しい遊歩場が広く展べられてる都市、それは観賞の対象としては実に高価であるが、近代都市の観念から見れば、その機能に何か欠けたもの或は鈍ったものが感ぜらるる。全体の雰囲気には、恐らく今次事変の影響が多いであろうが、都市の生理そのものについては、別個の批評も成り立とう。
北京のイメージを延長してゆく時、或る人間像が眼に浮ぶ。教養もあり富有でもあり、その上、古い文化的伝統と社会的伝統とを身につけてる人々、そして今は静かな余生を楽しんでる人々、そうした人間像なのである。私はこれを支那の上層階級にも見る。
茲にいう上層階級とは、支那流に解釈すべきである。成り上りの軍閥の属を指すのではない。古来支那では官吏は一流の文化人であった。地方の土豪劣紳にも、都市の老舗にも、学府の長老にも、この文化人の後裔は多く、その伝統は濃い。彼等は好人兵に劣らずという感懐を持ち、成り上りの軍閥に対する反感も強い。然し政治的には既に無力であり、或は逃避して、僅かな民心の信望を楽しみに、静かな生活を送っている。そして彼等の思想の根底には、支那人は結局支那の伝統に立還るという信念が横たわっている。支那の伝統とは、見方によっていろいろあろうが、ここではただ漠然と支那的性格というほどのものとなる。
支那的性格というものは、固定的なものであろうか、或は新たな発展をなし得るものであろうか。ここにまた、新東洋文化についての一問題がある。
支那人と個人的に交際する時、大抵の日本人は、こちらがまいってしまうという。殊には、前述の意味の上層階級の人々と交際する時、大抵の日本文化人はまいってしまう。何かしら文化的な社会的な修練の乏しさが、自分のうちに意識される。この意識は重要な反省の種とはなるが、然しそれに負けてはならないのである。それに打勝つだけの別個のものを所有しなければならない。支那の若いインテリ層は、自分の問題として、己が民族の問題として、こ
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