特殊性となる。ドイツがこれを建設した当時、土民の乞いによって残されたという旧衙門と天后宮とだけが、旧支那式建設であって、他は悉く近代建築である。風光の美もそれに加わって、何となく知性的な眼を見開いてる感じがする。
 この感じは、近代思想に眼覚めた支那青年を思わせる。ところで、青島市が建設されてる素材は支那のものであるが、その様式は外国から来たものであるとして、支那の若いインテリ青年に於ても、果してそうであるだろうか。青島には、民族資本のねているものが今のところ二億あると云われる。それは上海や天津に比べてはごく小額ではあるが、然し青島としては大したものである。支那の若いインテリ青年のうちには果してどれほどの民族資本がねているであろうか。
 支那の民族遊資を引出すことが、経済工作の一問題であるとするならば、支那の精神的遊資を引出すことが、文化工作の一問題としてよかろう。そしてこの場合、遊資引出しは共同経営を意図するものであるし、文化工作は文化的共働を意図するものでなければなるまい。共働の目標は新東洋文化の確立にある。
 ただ、支那のインテリ青年は、その大多数が奥地へ遁入し、残った少数も多くは野にひそんでいる。北京にひそんでいる者が、如何ほどあるだろうかとの問いに、学生を除いて、まず三四十人はいるだろうと或人は答えた。上海には少し多くいるだろう。青島には幾人もいないだろう。そのイメージがじかにつながる青島に、幾人もいないことは、青島のために淋しい。然し、景色もよく気候もよい青島のこととて、此処に文化施設を盛んにすることによって、私のイメージは案外実際的なものとなり、新たな文化の発祥地の一つとなるかも知れない。
 北支の村落と北京と青島とについて、私は以上のような三つのイメージを持つ。支那を考えることは、またこの三つを同時に考えることであらねばならぬ。



底本:「豊島与志雄著作集 第六巻(随筆・評論・他)」未来社
   1967(昭和42)年11月10日第1刷発行
入力:tatsuki
校正:門田裕志
2006年4月26日作成
青空文庫作成ファイル:
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