恥かしかったのです。とは云え、その感傷的な心地のうちにこそ、僕の本当の魂があったのかも知れません。
 けれどもそのことから、事情は急に険悪になったのです。宛もそうなるのが運命ででもあるように、一歩々々破綻へ押し進んでいったのです。そして僕自身は、余りにうっかりしていました。
 僕は妻へ誓いはしたものの、どうしても沢子のことを忘れる――心の外へ追い出すことが出来なかったのです。その上、妻と僕との間は、また以前通りの冷たいものになってしまったのです。あの音楽会の晩は、云わば燃えつきる蝋燭の最後の焔みたいなものでした。そのために却って、僕達の間は一層陰鬱になったのです。そして僕はそれを元へ引戻そうとは努めずに、沢子の面影へばかり心を向けたのです。
 僕は妻へ内密《ないしょ》で手紙を書きました。勿論内容は何でもないことばかりを選んだのですが、度数は前より多くなりました。沢子からも年内に一度手紙が来ました。一度は自身で訪ねてきました。そして、神話の原稿も可なり続いたから、正月号から暫く休むという社の意向だと、済まなさそうに僕へ告げました。僕が妙に黙り込んでるので、暫くして帰って行きました。
「神
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