妻や子供と離れて、がらんとした家の中に寝そべってると、何とも云えぬ暢々《のびのび》とした気持になったものです。女中が一切の用は足してくれるし、煩わしい心使いは更にいらないし、避暑に行くよりよっぽど気楽でいいと思いました。八月になって士官学校が休暇の折にも、僕は房州へ一度も行きませんでした――それを妻は後で僕に責めたのですが……。
妻や子供達の不在中に、僕は沢子の来訪を知らず識らず待っていたのです。二人でのんびりと他愛もない話に耽りたいと思ったのです。勿論妻が居たとて、別に僕は沢子へ対して疾しい心を懐いてるのではなかったのですから、妻の手前を憚る必要はない筈でしたが、それでも何となく気兼ねがされたのです。妻に気兼ねをするからには、疾しくないとは云え、やはり何かが其処にあったのでしょうね。実際の所、妻が房州へ行ってから、僕と沢子との手紙の往復は、ずっと数多くなりました。月に一回か二回だったのが、二三回になったと覚えています。けれど、沢子は妻の不在中一度も訪ねて来てくれませんでした。僕も明かに来てくれとは云ってやれなかったのです。或る時の彼女の手紙に、「お伺いしたいのですけれど、それをじっ
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