た今日は、ちっともお酒をあがらないのね。」
「なに、やるよ。」
「君は沢山いけるんですか。」と俊彦が尋ねた。
「それほどでもありません。」
「うそよ。私度々あなたの酔ってる所を見たわ。」
「酒に弱いから酔うんだよ。……そしてあなたは。」
「僕は泥坊の方で、いくら飲んでも酔わないんです。その代り、時によると非常に善良になってすぐ酔っ払うんです。」
「先生は酔うと眠っておしまいなさるんでしょう。」
「沢ちゃんを一度酔っ払わしてみたいもんだな。」
「そう。」と俊彦が愉快そうに叫んだ。「そいつは面白いですね。」
「大丈夫ですよ。私も泥坊になるから。」
そんな他愛もない話が順々に続いていった。一瞬前の緊張した気持は、いつしか何処かへ飛び去ってしまっていた。年来の友であるような親しみが、落着いたやさしい親しみが、三人を包んでいた。昌作はふと、自分がどうしてこう俄に安易な気分になったか、自ら怪しんでみた。そして、そのことがまた彼の心に甘えてきた。
けれど、そういう会話は長く続かなかった。派手なネクタイに金剛石《ダイヤ》入りのピンを光らしてる会社員風の男が一人、音もなく階段[#「階段」は底本では「
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