「沢子の気まぐれ」からここまで愚図々々引っ張られて来た自分自身が、なさけなく怨めしかった。沢子に恋しておればこそ!…… そして沢子は、その恋を知りつつどうするつもりなのか?
昌作が次第に首を垂れて考え込んでるうちに、沢子は俊彦の方へ話しかけていた。
「先生、私松本さんの所で、やはりお弟子の小林さんて方と、議論をしましたのよ。」
「何の?」と俊彦は顔を挙げた。
「いつか先生が手紙に書いて下すったでしょう、初めのうちは出来るだけ自己を画面に出しきるがよい、腕が進んでくるに従って、次第に自己が画面から消えて、偉い作品が出来るものだって。私がそう云うと、小林さんはまるで反対の意見なんでしょう。初めは自己を画面には出していけない、腕が進んでくるに従って、本当の自己が画面に現われてきて、立派な作品が出来るものですって。それでさんざん議論をしても、とうとう分らずじまいですから、しまいには松本さん所へ持ちこみましたのよ。」
「すると?」
「何とも仰言らないで、ただ笑っていらしたわ。好きなようにやるがいいだろうって。屹度御自分にもお分りにならないんでしょう。」
「うまく軽蔑されたもんですね。」
「あら
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