話し込んでゆくことさえありました。そして僕の方では、月々同じものが二冊ずつたまってゆく雑誌を、嬉しい気持で眺めたものです。
 そういう風にして、僕達の間には、記者と執筆者という普通の関係以外に、友達……と云っちゃちと当りませんが、そう云った親しい馴々しい打解けた気分が、次第に深くなってきたのです。そして僕は彼女の時折の断片的な言葉をよせ集めて、彼女の身の上をほぼ知りました。
 彼女の家は、富山でも――越中の富山です――相当の家柄だったのが、次第に衰微して、彼女が女学校を卒業する頃には、可なり悲境に陥ったらしいのです。そして、或る伯父の策略から、彼女は金銭結婚の犠牲にされそうな破目になって、母親の黙許を得た上で、東京へ逃げ出してきたのです。勿論その間の事情は、僕にはよく分りません。が兎に角、彼女は東京に逃げ出してきて、前からいくらか名前を聞きかじってる――というのは、彼女はまあ云わば文学少女の一人だったのです――名前を聞きかじってる中西夫人の許へ、身を寄せたわけです。その頃僕は彼女と二三度花骨牌の仲間になったのです。そして中西の家でどういうことがあったか、或は恐らく何事もなかったのかも知れませんが、彼女は其処に居るのが嫌になって、と云った所で、国から仕送りを受けて勉強するという訳にもゆかず、女中奉公も気が利かず、仕方なしに、何とか伝手《つて》を求めて、雑誌社にはいったような始末です。けれど、中西の家だって雑誌社だって、結局は彼女に適した場所ではありません。彼女はどんな所に置いても大丈夫であると共に――どんなことをしても純な心を失う恐れがないと共に、また同じ程度に、どんな所にもあてはまらない――安住し得ない性質を持っています。空中にでも放り出しとくがいいような女です。君はそうは思いませんか。
 所で……どこまで話しましたかね。……そう、僕と沢子と可なり打解けた間柄になった。すると半年もたってからでしたか……そうです、年が改ってからです。松のうちに一度やって来て、殆んど一日遊んでいってから――後で僕は思い出したんですが、その半日以上もの間、彼女は殆んど僕の書斎で神話の書物をいじくってるきりで、子供や妻を相手にしようともしなかったのです、勿論彼女は僕の家庭に親しんではいなかったのですが――それから後は、やって来ることが急に少くなりました。その代りに、度々手紙をくれるようにな
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