た。
大した風でもなさそうだったが、雨は横降りに降っていた。油ぎった泥濘が街灯の光を受けて、宛も銀泥をのしたようにどろりとした重さで、人影の少い街路に一面に平らに湛えてる上を、入り乱れた冷たい雨脚が、さっさっと横ざまに刷いていた。昌作は傘の下に肩をすぼめて、膝から下は外套の裾で雨を防いだ。電車に乗っても、背筋から足先へかけて冷々《ひえびえ》とした。
途中で一度電車を乗り換え、柳容堂の明るい店先へ近づくに従って、昌作は自分の地位を変梃に感じ初めた。この四五日の間あれほど一生懸命に待っていて、そして今雨の降る中を、宛も恋人ででもあるように夢中になって逢いに行くその当の宮原俊彦が、一体自分にとって何だろう? そして自分は彼にとって何だろう? 二人は逢ってどうしようというのか? 而も沢子の面前で……。泣いてよいか笑ってよいか形体《えたい》の知れない感情が、昌作の胸の中一杯になった。それでも彼は行かなければならなかった。
柳容堂の二階へ通ずる階段に足をふみかけた時、昌作は殆んど無意識的に顧みて、爪革に泥のはねかかってる古い足駄が一足、片隅に小さく脱ぎ捨ててあるのを見定めた。それから階段を、一段々々数えるようにして上って行った。
二階に上って、第一に彼の眼に止ったものは、室の両側の壁にしつらえてある可なり贅沢な煖炉の、一方のに赤々と火が焚かれてることだった。その煖炉の前の卓子に、長い頭髪を房々と縮らした一人の男と沢子とが、向い合って坐っていた。
昌作の姿を見ると、沢子はすぐに立上って、二三歩近寄ってきたが、其処にぴたりと立止って、サロンの女主人公といった風な会釈をした。それから彼を煖炉の方へ導いて、殆んど二人へ向って云った。
「先生よ。」
その先生という言葉が、昌作の耳に異様に響いた。がそれよりも変なのは、初めて見る宮原俊彦の顔に、彼は何だか見覚えがあるような気がした。頬骨の少し秀でた、頬のしまった、髯のない、色艶の悪い顔、痩せた細い首、そして縮れた髪の垂れてる額の下から、近眼鏡の奥から、大きな眼が輝いていた。何処ということはないが、重にその眼に、昌作は古い見覚えがあるような気がした。
もじもじしてるうちに、沢子が横手の椅子に腰を下ろしてしまったので、昌作は仕方なしに、一つ不自然なお辞儀をしておいて、俊彦と向い合って坐った。
「宮原です。」と俊彦は云った。「どうぞ
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