も立ち上ろうとした。其処へふいに沢子が出て来た。その顔を見て昌作は、彼女の先刻の言葉を思い出した。彼は沈んだ声で云った。
「僕に話があるって、どんなことだい?」
「もういいのよ。」と沢子は落着いた調子で答えた。「先刻はお話するつもりだったけれど、よく考えてみると、自分でも分らなくなったから。」
 昌作は彼女の顔をしげしげと見つめた。
「私ね、思ってることを口に出したり書いたりしようとすると、何だかはっきりしなくって、よく云えないわ。」
「そりゃ誰だってそうだろう。」
「そうかしら?」
 沢子は卓の横手に坐った。昌作は彼女の絵画のことを云ってみようと思ったが、云った後で自分が益々陰鬱になりそうなのを感じた。それほどこだわってるのが我ながら不思議だった。彼はコニャックの杯をあけて、それをも一杯求めた。
 どろりとした強烈な液体の杯を昌作の前に差出して、沢子は斜横の方に腰を下しながら、ふいに云いだした。
「あなたどちらにきめて?」
「え?」
「そら、九州の炭坑とかのこと。」
 昌作は黙って唇をかんだ。
「まだきまらないの?」
「そんなに容易くきめられるものかね。」
「だって、つまりは分ってるじゃないの。」
「何が?」
「私ね、あなたが結局行らっしゃりはしないと思うわ。行こう行こうと思ってるうちに、やはり行かずじまいになるに違いないわ。」
 昌作が黙ってるので、彼女は暫くしてつけ加えた。
「そうじゃないこと?」
「そうかも知れない。が……。」昌作は急に苛立った気持を覚えて、何かに反抗してみたくなった。そして云い出した。「行くかも知れないよ。いや、行くのが本当なんだろう。僕はぐうたらだけれど、忘恩者にはなりたくない。片山さんには非常に世話になってるんだ。年齢《とし》はそう違わないけれど、僕の第二の親とも云っていい位なんだ。中学二年の時に母を亡くして全く一人ぽっちになってからは、あらゆる面倒をみて貰ったんだからね。盛岡で、学校はしくじるし、女に……豚のような女に引っかかってどうにも身動きが取れないでいる時、片山さんはわざわざ盛岡までやって来て、僕を救い出してくれたのだ。母が亡くなる時に片山さんのお父さんに預けていた財産だって……勿論それは財産というほどのものじゃない、五六千円に過ぎないんだが、それも、僕の病気の時や、あの豚の女と手を切る時や、長い間の学費なんかに、もうずっと前か
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