のよいのに蓑笠《みのかちゃ》ちゅけて
朝《あーちゃ》から晩《ばーん》までたーだ立ち通ち
歩《あーる》けなーいのか山田の案山子《かがち》
………………………………
[#ここで字下げ終わり]

 歌が止むと、何かに遮られたような低い話声がする。
 ――駄目よあなたは、調子っ外れだから。
 ――ええ、私は何をやっても調子外れだけれど……だって、かがち[#「かがち」に傍点]なんて云えやしないわ。
 ――三つと六つのお子さんだから、そう云わなくちゃいけないわ。
 ――六つでまだ片言《かたこと》を仰言るの?
 ――ええまだ。いっぽんあち[#「いっぽんあち」に傍点]、かがち[#「かがち」に傍点]、なのよ。それに、宮原さんまで片言で一緒に歌っていらっしゃるから、そりゃ可笑しいのよ。
 昌作は、宮原という言葉に注意を惹かれるはずみに、はっと眼を覚した。上半身を起して振向くと、向うの煖炉の側に、珈琲碗や菓子皿が幾つも取散らされたままの卓子に、沢子と春子とが坐っていた。二人は昌作が起上ったのを見て、ぷつりと話を止めてしまった。それがまた、何か云ってならないことを云ったという様子だった。昌作はぞっと寒けを感じた――その沈黙と一種妙な探り合いの気配とから。彼は深く眉根を寄せたが、それを押し隠すように伸びをして、黙って煖炉の方へ立っていった。
「ほんとによく眠っていらしたわね。」と春子が云った。
「ええ、たべ酔ってね……。」
 その言葉に後は自ら不快になった。卓子の上の皿類を見廻しながら云った。
「僕の知った人が来やしなかったのかい?」
「さあ……いいえ誰も。幾人もいらしたけれど、滅多に見ない人達ばかり……ねえ。」と彼女は沢子の方を見た。
「ええ。」と沢子は首肯いた。
「そんなに沢山客があったの!」
「沢山というほどじゃないけれど……今もね、お児さん連れの方がいらしたんですよ。」そして春子は慌てたようにつけ加えた。「ご気分は?……少しはよくおなりなすって?」
「ええ、ぐっすりねたものだから……。」
 その時彼は時計を仰いで喫驚した。九時近くを指していた。
 二人が皿類を取片付て奥へはいって行った間、昌作はじっと煖炉の前に屈み込んだ。それは、或る家《うち》では最も客が込むけれど、或る家では妙に客足が途絶えることのある、一寸合間の時間だった。そして柳容堂の二階は、後の部類に属していて、今が丁度そう
前へ 次へ
全88ページ中82ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
豊島 与志雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング