の字形に並べてあった。その一方に、外套と帽子とを傍に放り出して、背広姿の片山禎輔が、先刻からぽつねんと待ちくたびれて、そして何か考えに沈んでいたという風に、腰掛けていたのである。――昌作は初め、禎輔が他の客と会食中なのでこの室に待たせられることと思ったが、一歩足を踏み入れて禎輔の姿を認めるや否や、はっと思った警戒の念から、それらのことを一目に見て取った。
 禎輔は先程からの沈思からまだ醒めないかのように、顔の筋肉一つ動かさないで、それでも落着いた声で、彼に云った。
「遅かったね。すぐに来るようにと云ったんだが……。」
 昌作は一寸どぎまぎした。
「でも、あなたは他の人と会食なさるというお話でしたから、時間をはかって来たんです。もうお済みになりましたか。」
「うむ……。」と禎輔は曖昧な答えをした。「君は食事は?」
「済みました。」
 うっかりそう遠慮深い答えをしたのに、昌作は自ら一寸面喰った形になって、急いで一方の長椅子に腰を下した。
「じゃあ、何処かへ酒でも飲みに行こうか。どうだい? 君のあそび振りも一寸見たい気がするね。」
 昌作は不快な気がした。揶揄されてるのだと思った。彼が先《せん》にちょいちょいあそんだのは、禎輔等のそれと違って――禎輔が会社の方の交際でそんな場所に時々足を踏み入れていることを昌作は知らないではなかった――それと違って、比べものにならないほど安っぽい所でだった。而も彼は近来、そんな所からさっぱり足を抜いてしまっていたのである。
「いやに変な顔をするじゃないか。」と禎輔は云った。「酒を飲むのだって仕事をするのだって、結局は同じことだろうよ。どちらも生きてる働きなんだからね。。……だがまあいいさ。それなら、此家《ここ》に上等の葡萄酒があるから、そいつでも飲もうよ。」
 禎輔はボーイを呼んで、料理を二三品と、フランスから来たあの上等のを瓶のまま二本ばかり持って来いと命じた。そして、それが来るまで彼はやたらに金口《きんぐち》を吹かして、昌作にもすすめた。昌作もやはり黙ってその煙草を吹かしながら、向うから話し出されるのを待った。が禎輔の言葉は、彼が全く予期しない方面のことだった。
「僕はね、」と禎輔は葡萄酒の杯を挙げながら云い出した。「芭蕉の句集をこないだから読み出してみたのだが、僕のような門外漢にもなかなか面白いよ。そして、ふと馬鹿なことを思いついて
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