スーツケース一つが残っていた。家を出る時南さんは、大島へ一二泊旅をしてくる、とだけ云い置いて、平素と変りはなかった。――過失死か自殺か、不明だった。新聞紙上には大体過失と報ぜられた。
 万一の希望も空しく終り、三十五日目に一般の告別式が行われることとなり、その前夜、親しい者だけで、改めて仏事とも通夜ともつかない集りがあった。
 故人の引伸し写真と位牌とを中心に、小さな気持よい祭壇が拵えてあった。特別の遺愛の品とてないので、いろんな身辺の品が一纒めにして置かれていた。万年筆、鉛筆、紙切ナイフ、補助の眼鏡、古い懐中時計、ネクタイピン、原稿紙の上にのってた形態《えたい》の知れない鉄塊など、ごくありふれたがらくたが、遺骨の代りになったのである。そして美しい新鮮な花が祭壇を殆んど埋めつくし、その色彩と芳香は蝋燭の火や線香の煙を圧していた。故人が愛酒家だっただけに、集った者のうちにもそれが多く、一座は何となく宴席の趣きを呈した。若い人々の間では、社会や道徳や文化や芸術などの問題について元気な議論が交された。
 正夫も遅くまで起きていた。家中のことを仕切ってる中根のおばさんは、その晩、へんに正夫を自由にさしておいてくれた。故人の旧友で、語学教師であり飜訳家である木原さんが、正夫を一同に一人一人紹介してくれた。正夫は果物をたべ、サンドウィッチをつまみ、酒も一二杯なめた。そしてもう十二時近い頃だったろうか、階下の奥の室の縁側で、真暗な庭の方をぼんやり眺めていると、木原さんがやって来た。木原さんは正夫の肩に手をかけながら、故人のことを話しだした。故人は近年、あらゆる意味で宙に浮いていたのだそうである。生活の意義を求めて得ず、道徳の根拠を求めて得ず、女性の魂を求めて得ず、而もそれらの追求は、一種の漠然たる恋愛的観望の形となり、その観望がいつまでも満されないために、人間や社会に対する蔑視が起り、蔑視が傲慢なものとなるに随って、彼自身は宙に浮いてしまったのだそうである。そんなこと、正夫にはよく分らなかったが、木原さんはしんみりと話してきかして、それから更に声をおとして、だから、精神が宙に浮いていたから、酒に酔ってもいたろうけれど、船から海に落ちるようなことになったのである……。その声があまり静かで、宙に漂っているようだったので、正夫はうっかり、率直に独語した、いいえ、お父さんは自分で海に飛び
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