ない。去年の秋には、村外れの爺さんの大きな藻蟹のウケに一匹はいりこんで、まんまと生捕られ、爺さんの自慢の毛皮となっている。河童なんかも、もう夢の世界に逃げこんでしまっている。それでも、夜の川辺には、何かしら奇怪な不気味なものがうろついている。だがみんな影だけだ。ほうほう鳥が、濁りのない落着いた声で鳴いている。ほう、ほう……ほう、ほう……。近いようでもあり、遠いようでもある。決して一つ処にじっとしていない。空には星がきらきら光っている。
目指す水口にやって行く。ウケを五分の四ほど水に沈め、他は水草や泥でせき切り、ウケの上にも水草や泥をのせておく。そして水を二三掬いあびせる。それですんだ。田にはたくさんの魚がのぼっていそうだ。魚ばかりではない。何かえたいの知れないものもいる。みんな、川に戻る時ウケにはいるんだ。大きな不安と期待……それが、家に帰るまで続き、夢の中にまで続く。
朝が楽しみだ。まだ太陽は出ない。白い朝、それからやがて赤い朝。道端の草にはしっとり露がおりている。大空の星がへんにぎらぎらしている。もう水田のものは川に戻ってしまったかしら? ウケのところまで、ゆっくり行くべきか早く行くべきか惑う。そして遂に、ウケに手をかける。ごつごつと手応《てごた》えがするのは、大きいやつがはいってるのだ。引き上げる時に、ばちばちっとはねるのは、鮒や鯉や鮠だ。重くのっそりしてるのは、鯰や鰻や鰌だ。ウケからすーっと水が引いてしまう時は、失敗で、目高の類が四五匹か、或は全く何一つはいっていないこともある。うまくいった時には、ウケ半分ほどもはいっている。
正夫は毎晩ウケをつけにいった。一人では行けなかったが、その家に十七八歳の下男がいて、いつも一緒に行ってくれて、自分で大抵やってくれた。ほうほう鳥がいつもどこかで鳴いてるのが、楽しくもあり気強かった。或る晩、ウケを三つつけて、帰りかけると、遠くに燈火が一つ見えた。それが、水田の間の一筋の道を、こちらにやってくる。闇夜のなかの胸躍るような仕事のなかでは、燈火を持った者に出逢うのは嫌なことだ。どこかに隠れようかと躊躇してるうちに、燈火は非常な速さで近づいてくる。それが、大きな真赤な火で、提灯の光でもなく、電気燈の光でもなく、松明《たいまつ》の光でもなく……えたいの知れない火の玉だ。その赤い火の玉が独りで、闇にとざされてる稲田の中の道を
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