張って眺めました。まっ黒な山、山の腹に茂ってる森、森の裾《すそ》にある城、城の前に広がってる野原、野原のまん中にある町……王子は何だか見覚えがあるような気がしてきました。そしてなおよく見ると、それは見覚えがあるどころか、実は自分の国で、森の裾にある城は自分の城だったのです。王子はその城をぬけ出した時から、両親の国王と女王とのことやその他自分の国のことを何もかも忘れていましたが、今眼の下に自分の城を見ると、急になつかしくなって、思わず知らず叫びました。
「あ、僕の城だ」
そのとたんに、ふと気がゆるんで、鳥の首筋《くびすじ》にしがみついてた手を離したものですから、あッというまに王子は鳥の背中から滑って、まっ逆さまに城の上へ落ちてゆきました。途中で気が遠くなってしまいました……。
四
……ごく遠い所から、何だか聞き馴《な》れた声が自分を呼ぶような気がして、王子はぼんやり眼を開きました。すると不思議にも、城の中のいつもの寝床に寝ているのでした。部屋の中には、国王や女王や侍女《じじょ》達や二三の家来《けらい》が、ぐるりと寝台を取り囲んでいました。王子はびっくりして起き上がりました。それを見て、女王が眼に涙をいっぱいためながら抱きついて来ました。
「まあ、眼がさめましたか。それでも、昨夜《ゆうべ》から一体どこへ行っていました? 私達はどんなに心配しましたでしょう! よく帰って来てくれましたね。でも、黙って帰って来て寝てしまうなんて! どうしたのです? まあ、あなたはまだどうかしてはいませんか」
母の女王の言うことが、王子にはさっぱり訳がわかりませんでした。それでなおよく聞いてみますと、実はこうだったのです。――昨日の夜中に、寝床の中に寝ていたはずの王子が、ふいにいなくなってしまいました。たった一人の王子がいなくなったのですから、城の中はひっくり返るような騒ぎになりました。城の隅々《すみずみ》はもちろんのこと、近くの野原や街に至るまで、家来《けらい》達が四方八方に手分けして、王子を探し廻りましたが、どうしても見つかりませんでした。夜が明けて、昼間になって、そしてまた夜になるまで、皆は王子を探し廻りましたが、何の手がかりもありませんでした。国王や女王は、悲しみの涙にくれて、泣き沈んでばかりいました。ところが夜になって、夜もふけてから、一人の侍女《じじょ》が、何度も見廻った王子の部屋に、も一度|何気《なにげ》なくはいってみますと、王子は寝床にすやすや眠ってるではありませんか。侍女の知らせによって、国王や女王や、他の侍女達や主だった二三の家来達が、その部屋にやって来ました。そして王子を呼び起こしたのでした。
「じゃあやはり、本当だったんだ!」と王子は叫びました。
実は王子にも、自分が金色《こんじき》の鳥に乗って飛び廻ったのが、夢だったのか本当だったのかよくわかりませんでした。けれど、皆の話を聞いて、自分が昨日の夜中から城にいなかったことを知ると、もう疑いようがありませんでした。
「本当だったんだ!」と王子はくり返し叫びました。そして昨夜からのことを皆に話しました。
皆の驚きはどんなだったでしょう! けれど、誰にも王子の話が本当だとは受け取れませんでした。しばらく黙ってた後に、国王は言い出しました。
「そんなことが世にあるはずはない。それはきっと森の奥に住んでいる魔法使いのせいだ。わしはこの国の王として、その魔法使いを退治《たいじ》しないわけにはゆかない。王子をたぶらかされて、そのまま許しておくわけにはゆかない。夜が明けたら早速、退治に出かけてやる」
それに反対する者は、わずかに三人しかいませんでした。その一人は女王でした。
「そんな無謀なことをなされますと、どんな災いが来ないとも限りません」
「なに、魔法使いくらいに負けるものか」と王は一|言《ごん》に退《しりぞ》けました。
第二の反対者は、昔からその国にいる年とった家来《けらい》でした。
「あの森に魔物がいると言われていますのは、実は嘘でありましてこの城を守って下さる神が住んでいられるのであります。決して森にはいるなとは、代々の王様の言い伝えであります。それを破られてはよろしくございません」
「なに」と国王は言いました。
「魔物であろうと神であろうと、王子をたぶらかすようなものは、決して許してはおけない」
第三の反対者は王子自身でありました。
「僕はたぶらかされたのではありません。本当の夢の精に逢ったのです」
「それでは、その夢の精とかをひっとらえてやろう」と国王は言いました
その上、王子が帰られたのを喜びに出て来る強い家来《けらい》達が、皆して国王の企《くわだ》てに賛成しまして、すぐにも魔法使い退治《たいじ》の用意にかかろうとしていました。もうどうにも出来ませんでした。
王子は初めて悲しくてたまりませんでしたが、そのうちに、ふと考え直してきました。国王や強い家来達の助けをかりて、あの夢の精を生捕《いけど》りにすることが出来たら! そう思うと急に元気が出てきました。
「それでは僕がその金色《こんじき》の鳥の所へ案内しましょう。そのかわり鳥を少しも傷つけないで生捕りにして下さい」と王子は頼みました。
国王は大変喜んで、王子の言う通りにすることになりました。
「だが、誰も武器を持ってゆかないかわりに、知恵の鏡だけは持ってゆく」と国王は言いました。
知恵の鏡というのは、その国に昔から伝わってるものでありまして、それで照らすと、どんな化《ば》け物でもすぐに正体を現わしてすくんでしまい、どんなものでも人の思うままになるという、世界に二つとない宝でした。
五
夜が明けると、国王と王子は強い家来を二十人ばかり引き連れ、皆一人一人象の背に乗り、一つの象には大きな鳥籠《とりかご》をのせて、城の後の森の中へ上がって行きました。
王子は道案内者としてまっ先に進みましたが、一昨日の夜ほの白い道が続いていたのはどの方向だか、さっぱり見当《けんとう》がつきませんでした。何しろ誰もはいったことのない山の森で、昼でさえその中はまっ暗なほどおい茂っていて、枯枝《かれえだ》朽葉《くちは》の積もり積もった上に、茨《いばら》や葛《かずら》がはい廻っていて、いくら象でもなかなか上って行けませんでした。その上、森の奥深くへ来ると、森全体が恐ろしい勢《いきおい》で唸《うな》り出しました。けれど王子達の方には宝の鏡がありました。茨や葛の中にふみ込んでも、方向に迷っても、森が唸っても、一々鏡に照らして難をさけ、次第《しだい》に山の中ほどまで登って参りました。
やがて皆は、森の少しうち開けた平たい所に出ました。見ると、向こうに大きな樫《かし》の木が立っていまして、その幹《みき》にある洞穴《ほらあな》みたいな穴の所に、金色《こんじき》の大きな鳥がとまっていました。皆はそのまぶしいほどの美しい金色の光に、あッと言って驚きました。鳥は昨日の疲れか、首を垂れて眠っているようでした。
国王は驚きが静まると、「それッ!」と家来《けらい》達に合図をして、鏡を差し上げながら鳥の方を照らしました。そのとたんに鳥は首を上げて、皆の方を見て、飛んで逃げようとしましたが、鏡に照らされてるせいか、翼がよく利かないで、ばたばたと地面へ落ちて来ました。そしてなお足で逃げようとするのを、強い家来達が大勢《おおぜい》で取って押えて、象の背中の籠《かご》の中へ入れてしまい、籠の上にはさらに袋をかぶせました。
皆は鏡の力にいまさらながらびっくりし、次には踊り上がって喜びました。国王は魔法使いを捕《とら》えたつもりでいましたし、王子は夢の精を捕えたつもりでいました。そして一同は喜び勇んで城の方へ帰って行きました。
城に着くと、城の中の者はもちろんのこと、話を伝え聞いた町の人達までが大勢、魔法使いが捕《つかま》って来るというので、首を長くして待ち受けていました。国王は城の広い庭に鳥籠《とりかご》を下ろさせ、それから袋を取り去って中をのぞきました。まわりの人達も一度にのぞき込みました。
ところがどうでしょう。籠の中には、魔法使いもいなければ金色の鳥もいませんでした。ただ一つ、大きな黄金《おうごん》の卵《たまご》形のものが転がってるきりでした。皆はあっけにとられました。国王は早速《さっそく》例の鏡をさしつけてみましたが、やはり大きな黄金の卵形のもので、その色も光も形も少しも変わりませんでした。知恵の鏡の力をもっててしてもどうにもならないとすれば、人間の力でどうなりましょう。ただ黄金の卵というきりで、何のことやらわかりませんでした。多くの学者達も口をつぐんでしまいました。
国王は少し変な気がしてきまして、あの金色の鳥は魔法使いでなくて、あるいは王子の言うように夢の精だったかも知れないと、思い始めました。王子は初めから夢の精だと思っていましたから、今それが卵になってしまったのを見て、大変悲しがりました。そして、国王からその卵をもらって、自分の部屋の戸棚《とだな》に飾りました。
六
その晩、王子は夢をみました。この前の通り紫の雲に乗って、あの白い毛の老人が出て来ました。そして王子にこう言いました。
「王子、あなたは無法なことをなされました。けれど今度《このたび》だけは許してあげます。もう二度と森の中に上ってきてはいけません。夢の精はなかなか人間の手に捕《つか》まるものではありません。もうちゃんと私の懐《ふところ》に戻ってきています。そして、あなたには知恵の鏡に免《めん》じて、卵を一つ差し上げたそうです。それを大事にしまっておおきなさい。城の前の谷川に月の光がさして、そして水が自然に静まる時があったら、その卵《たまご》を水鏡《みずかがみ》に写してごらんなさい。夢の姿がはっきり見えてきます。またいつか時が来たら、その卵がかえって、金色《こんじき》の鳥が生まれ出ます。私の言葉を疑ってはいけません。そしてまた二度と森の中に上《のぼ》って来てはいけません」
それだけ言って老人の姿は消えてしまいました。
王子は不思議な気がして夢からさめました。起き上がると、もう東の空が薄紅《うすあか》くなりかけていました。王子は国王と女王との所へ駆けて行きました。国王も女王も起き上がっていました。
「今私達の方からあなたを起こしに行こうと思っていたところですよ」と女王は言いました。
王子はすぐに夢の話をしました。すると、実は国王も女王も同じ夢をみて起き上がったのでした。三人は不思議な思いをしました。国王も今では、あの金色の鳥は夢の精だったことを知りました。そして城の後ろの森にはいることを、改めてすべての人に禁じました。
それから王子は、月の照ってる晩は何度も城の前の谷川の所に出て、その水を見渡しましたが、水は岩の間を音を立てて流れていまして、自然に静まるなどということはとてもなさそうでした。試みに黄金《おうごん》の卵を持っていって写してみても、早いざわめいた流れですから、少しも写りはしませんでした。それで王子もしまいには諦めて、番人を置いて谷川を見張らせました。けれどいつまでたってもその水が自然に静まり返ることはありませんでした。
王子はその方はもう思い切って、今度は卵がかえるのを待ちました。銀の籠《かご》を国王から作ってもらい、その中に香木《こうぼく》の屑《くず》で作った巣を入れ巣の中に黄金《おうごん》の卵《たまご》を置いておきました。そして朝と晩とには必ず中をのぞいてみました。けれどもやはりいつまでたっても元の卵のままでした。
そのうちに国王は亡《な》くなり、王子が国王の位に即き、次いで自分もまた年をとって亡くなり、それから幾人《いくにん》もの王が代々後を継《つ》いで、幾千年もたちましたが、城の前の谷川の水が静まることのないように、黄金の卵がかえることもありませんでした。またその卵をかえすことを知ってる者もいませんでした。今になおその卵は、夢の卵と言われて、銀の籠の中の香木の巣の中にはいっています。
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