が、美代子にだけはちゃんとした物を揃えた。彼女は美代子の半襟や鹿子の柄の見立に熱心だった。
彼女が送ってきてくれというのを、僕は頑として断った。
「あなたは、ほんとにやんちゃね。」
「ああ、やんちゃだよ。」
そして僕達は距てのない微笑を交わした。
彼女はおみやげと幾許かの金を持って、タクシーで帰っていった。
吾妻橋のほとりは寒かった。風はなかったが、それでも寒い空気が川の方から流れよってきた。
何という清楚な感じだ。これじゃ駄目だ。もっともっともぐってやれ。
僕は北の方の一廓に向った。殆んど不案内な土地だったけれど、電車でいって後は歩いた。そして、奥の方の小路を、小店を小店をと物色して廻った。
「へえ、旦那、如何で……もう十二時近くですから、半夜のところで、御都合でどうにも……へえ、二両半、他には一切頂きません。」
「そいつあ有難い、今夜は観音堂の縁の下で寝るのかと思った。」
「へへへ、御冗談……。」
僕はふらふらと梯子段を上っていった。そしてその晩は、北に窓が一つあるきりの何にもない長方形の室で、一人で眠った。
「君はいいからどっかへ行ってこい。ただ、風邪をひかないように布団だけは沢山頼むぜ。」
山出しの女中と云った恰好の女は、布団を余計に一枚持ってきて着せてくれた。
財産がなくなって、自分の腕で稼がなければならなくなっても、俺は力強く働いて見せる、とそんなことを、僕は懐中無一文の気で考えていた。
そして翌朝九時頃までぐっすり寝込んで、それからそこを飛出して、稲毛へ行った。
照代のことで、僕の懐中は実際淋しくなっていた。翌日のことが心細かった。で、午飯をぬきにして、晩に酒を一本だけつけて貰った。
そこの旅館の、丘の松林の中にある離屋を、お前はよく知ってるね。季節外れのこと故、静かすぎるほどだった。その一室で、僕は時々遠く海に眼をやるきりで、死んだ者のようになって半日を過した。風呂にはいって頭まですっかり洗い清めて、善良な女中を相手に淋しい夕食をして、あたりに客もないひっそりした離屋の、朱塗りの餉台の[#「餉台の」は底本では「飴台の」]上に両肱をついて、僕はぼんやり昨日からのことを、前々からのことを、思い起していた。そして、うっかりすると照代と一緒に来る筈だったことを考えて、淋しい微笑が頬に上った。
羽の長い蚊が一匹、十一月の末というのにま
前へ
次へ
全20ページ中18ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
豊島 与志雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング