お生きようとするだろう。そのためにでも、俺の死は無意味ではない。
B――お前がそういう風に考えたいなら、それはお前の勝手だ。然しそういう考え方は、全く中心のない考え方だ。お前は甲のことを考える時、すっかり甲に移っていってしまい、乙のことを考える時、すっかり乙に移っていってしまう。然しお前自身はどこにあるのだ。お前自身の感情はどこにあるのだ。お前の眼は木や石と同じだ、人間の眼ではない。お前は前に、よく生きよく死ぬんだと云った。然しそういう考え方をし、そういう見方をして、それでよく生きよく死ぬことが出来るだろうか。お前は自己を取失っているのだ、自我という意識を取失っているのだ。
A――いや、俺はお前よりももっと広い所に踏み出しているだけだ。お前は何事をも何物をも、自分と他とに対立させて考えている。然し俺にとっては、凡てが自分であって、他なるものはない。俺はこの室にはいってから毎日、あの窓越しに、庭の樹々の梢や青空や日の光や雲の影などを、静かに眺めて暮してきた。そして今では、それらのもの凡てが自分だという心持になっている。昨日だったか、窓の外に雀が飛んできて、其処の窓縁でちゅちゅと鳴いては、また何処かへ飛んでいった。すると俺は、自分自身が雀になって、自由に空中を飛び廻ってる気がした。それは何とも云えない自由な晴々とした気持だった。
B――その雀は俺も見た。そして俺はその雀が飛び去った後で、危く涙をこぼしそうになった。生きているうちにあの雀を再び見ることがあるかしら、とそんなことを思うと、世の中が暗くなるような気がした。空を仰ぎ、日の光を見、小鳥の声を聞くのは、俺が……この俺自身がそうしてるので、俺より他のものではない。俺があって初めて世界があるのだ。俺がなかったら、世界も何もありはしない。否、あってもないに等しいものだ。そういう俺が今死にかかっている。もう余命幾日もないだろう。何ということだ。俺は生きたい、いつまでも生きていたい。
A――死と共に一切が亡びてしまうことは、俺にとっても同じだ。ただ俺は、生きるも死ぬるも、どちらだって構わない。そんなことは俺の知ったことではない。生きてる間は甘んじて生き、死ぬる時には甘んじて死ぬ、それが俺の態度なんだ。
B――俺は生死を自分以外のものに任せたくない。自分の意志で生き、自分の意志で死にたい。生きることも死ぬることも、完全に自分のものとしたい。
A――それでは結局、お前と俺とは、正反対のようで同じかも知れない。
B――同じのようで正反対かも知れない。
A――まあも少し、お互によく考えてみよう。
B――そうしよう。……それにもう夜明けだ。
A――彼女達が眼を覚ます時間だ。
AとBとの姿が消えて、二脚の椅子は空になる。畳敷の上に寝ていた若い女と看護婦とが、物に慴えたように突然眼を覚して、上半身だけで起上る。寝台に眠っている病人がかすかに身動きをする。二人は立上って、その方へ寄ってゆく。
病人――夜が明けたようだね。
女――まだなんでしょう。
病人――もう外は明るくなってるようだ。電灯を消して、カーテンを上げてくれ。
女は窓の方へ行って、カーテンを上げる。外は白々と明けかかっている。看護婦は電灯を消す。蒼白い黎明の光が窓からさしこむ。病人は一寸頭をずらして、その光をしみじみと眺める。
病人――今日も晴れらしいね。
女――ええ。いいお天気ですよ。
病人――窓の外に、お米か御飯粉か置いといてごらん。雀が屹度やって来るから。
女――はい。
看護婦――私が賄方の所から貰って参りましょう。
女――そう、ではどうぞ。……あなた、今日は御気分はどう。
病人――大変よいようだ。
女はほっと息をついて、病人の顔をしげしげと眺める。看護婦は扉から出て行く。病人は力ない微笑を窶れた頬に浮べながら、じっと窓の外を眺めている。
底本:「豊島与志雄著作集 第六巻(随筆・評論・他)」未来社
1967(昭和42)年11月10日第1刷発行
入力:tatsuki
校正:門田裕志
2005年12月8日作成
青空文庫作成ファイル:
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