少しお友達の真似をなすって、傘を借りっ放しにしていらっしゃれば宜しいではございませんか。」
「いや図書館に行ってたんです。」
「あら、今井さんでも図書館にいらっしゃることがあって?」と澄子は云った。
「たまに行ってみたから罰が当ったんでしょう。霽れるのを待つつもりだったんですが、少し気分が悪いから帰って来ました。」
足を洗って上って来た彼の顔は真赤だった。その額に辰代が手をあててみると、火のように熱く感じられた。
「まあ大変なお熱でございますよ。すぐお寝みなさらなければいけません。……澄ちゃん、床を敷いておあげなさいよ。」
澄子がまだ袴をつけてるのを見ると、辰代は自分から二階に上っていって、寝床を敷いてやり、濡れた着物を寝間着に着代えさしてやって、それから暫く枕頭に坐って様子を見守った。
「大したことじゃありません。」と今井は云った。「雨に当ったからかっとしたんです。少し寝ていればじきになおります。」
「でも兎に角、晩にはお粥が宜しゅうございますよ。拵らえて差上げましょう。」
そして辰代は夕方、粥や梅干や一寸した煮肴などを持っていったが、今井は何も食べたくないと云って、それには手もつけないで、ただしきりにお茶ばかり飲んでいた。小用《こよう》に立って下りてくる時には、足がふらふらしていた。それでも大したことはないと云い張って、薬も手当も一切断った。
辰代は心配しだした。中村が病院から帰ってくると、診てやってくれと頼んだ。
「どうされたんです? 熱がおありですか。」
そう云って中村は今井の室にはいっていった。
「いや何でもありません。」と今井は天井を見つめたまま答えた。
「一寸脈を拝見してみましょうか。」
そして中村がにじり寄ろうとすると、今井は手先を挙げてそれを制した。傍から辰代も勧めてみたが、彼は承知しなかった。
「私で不安心でしたら、懇意な内科の医者を呼んであげましょうか。」と中村は云った。
「いいえそうじゃありません。私は医学を信じないんです。」
中村は微笑を洩らした。
「医者の大家には、よくそう云う人がありますが……。」
「医学くらい進歩していない学問はありません。」と今井は云い進んだ。「医学が一番進んでいる、などと云う人がありますが、真赤な嘘です。私はこう思うんです。凡そ天地間のあらゆる生物、または現象には、それに反対の生物や現象が必ずあるもの
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