代は自分一人の繰言をしながら、台所へやっていった。そして残りの用を済し、何か繕い物を持出してきて、室の隅に蹲った。
 澄子はまた話の続きを初めていた。大学生とも一人の学生との応対の所になると、彼女と中村とは、はっと気付いて口を噤まねばならなかったほど、愉快な高笑いを洩らした。
「私あの方を、」と澄子は云った、「まるっきりの田舎者か、それとも偉い天才か、どちらかと思ってよ。」
「そうだね。」そして中村は考え深そうな眼付をした。「わざと衒っているのじゃないかしら。」
「いいえ、ありのままよ。衒うことなんか、これっぱかしも出来そうにない人だわ。」
「もしそうだったら、その変梃なのが正直な所だったら、澄ちゃんが云うように天才かも知れないね。」
「どうして?」
 そこで中村は、医学上の見地から天才というものを解釈して、天才とは結局、頭脳の一部分が極度に発達して、他の部分が萎縮してしまってる、一種の不具者だとした。澄子はそれに反対して、天才にもやはり立派な人格者がいると云い、その例に、トルストイやナポレオンを持ち出した。中村はそれを打消して、そう思うのは遠く離れて見るからだと云い、近寄って見ると天才は皆不具者だと説いた。
「一番いい例は、二階のあの人だね。近く寄って見るから変梃に見えるので、遠く離れると立派な人格者に見えるものだよ。」
「そんなことないわ。」
「じゃあ澄ちゃんは、あの立派な天才を、天才ではないと云うのかい。」
 澄子は眼をくるりとさしたが、瞬間に、手を挙げて打とうとした。
「まあ憎らしい!」
 そのはずみに、火鉢の鉄瓶を危く引っくり返そうとした。
 針仕事の上に首を垂れて、こくりこくりやっていた辰代が、喫驚して眼を開いた。
「何をしてるんですよ!」
 澄子が笑い出したので、彼女ははっきり眼を覚してしまった。
「お二階の、あの方は?」
 それで初めて気がついて、皆は耳を澄してみた。二階はひっそりと静まり返って、ことりとの物音もしなかった。
「そうそう、まだお茶も出さないで……。」
 辰代は慌て気味に茶菓子を用意して、二階の四畳半に上っていった。
 すると大学生は荷物を運び込んだままの室の中で、布団の包みに頭をもたせ、仰向に寝そべって、まじまじと天井を見つめていた。

     二

 斯くて今井梯二は、南に縁側があり東に腰高な窓がある、その四畳半の室に落ち着いた。
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