んだから。」
そしてその芸者は、静葉のふざけた口調をまねた。
「失敬なことを、なんですか。」
野口も一緒に調子をとった。
「失敬なことを、なんですか……失敬なことを、なんですか。」
「では、お先に失敬するわね。」
静葉は笑いながらそう云って、島村に目配せをした。
なんだかんだと、いろんなことのあるうちで、私の注意を惹いたのは、島村と静葉との視線が絶えず連絡されてることだった。何かを云い何かをする度毎に、彼等の眼は始終相手に注がれた。その視線は、たとえ如何なる人込みの中でも、如何なる酔狂な振舞の中でも、断ち切られることがないらしく見えた。そして今でも、静葉の目配せを受けると、島村はすぐにうなずいて、それからゆっくり立上った。
二人はそのまま出て行こうとした。
真先に気がついたのはおけいだった。彼女は呼びとめた。
「島村さん、どこへいらっしゃるの。」
島村は向き直っていった。
「外へ出るんです。」
そして彼は一寸皆を見据えた。額が蒼ざめて、口元に云い難い微笑を浮べていた。何でもない言葉であり、何でもない態度であるだけに、その中に籠ってるものが明かに感ぜられた、一種の挑戦と蔑視とが。殊にその微笑は、打撃の効果を意識してる者のそれだった。緊張した空気が流れた。瞬間に、静葉が云った。
「では、皆さん、失礼……。」
長く引張った失礼の発音が、その緊張を皮肉なものにした。誰も口を利かなかった。二人は出ていった。
宮崎が、長卓の上の灰皿を土間に叩きつけた。清子はそれを引止めたが、宮崎はなお、転ってる灰皿の破片を足で蹴散らした。険悪な空気になった。おけいは真蒼な顔をしてつっ立っていた。
「追い出して下さい、乱暴な……。」
呆気にとられていた野口が云った。
「一体どうしたんですか。」
清子が一緒になって灰皿の破片を蹴散らしてるのを見て、おけいは歯をくいしばって、酒をぶっかけようとした。
「呆れた人たちだ。」と野口はまたいった。「まるでヒステリーだ。」
「ええ、ヒステリーでしょうよ。」
おけいはしゃくりあげると同時に、屈みこんで、長尾の肩に顔を伏せた。
二人の芸者は眼を見張っていた。
そしてそのまま、潮が引くように、その場は納ったのであるが、そうした情景の底に、捉え難い不安が濃く淀んでいたのである。私はその責を誰にも何物にも着せようとは思わない。ただ、こうし
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