仲間の誰かに出逢った。その晩も、長尾と大西と宮崎と私と、四人が落合った。
ところで、その晩のことなのだが、一体、飲み仲間というものは、ひどく親しくもあればまた疎遠でもあって、お互に赤裸々にぶつかり合うこともあり、仮面で押し通すこともあり、而もそれがいろいろ交錯するので、その間の真相はなかなか捉え難い。火花が散り、雲がかけ、そしてその火花も雲も、酔のために誇張されるのである。私自身も酔っていた。
酔った眼で眺めると、長尾はともかく、大西と宮崎とが清子を相手に平然と談笑しているのが、異様に見えるのだった。清子というのは、「笹本」のお上《かみ》さんの姪だとか、そこのところはよく分らないが、とにかく縁故のもので、前に暫くカフェーの女給に出ていたことがあり、生意気な口の利き方をし、二十一歳というのには少し老《ふ》けた顔付の、小柄な女だった。この清子のことについて、「笹本」にやってくる前、私はさんざん宮崎に悩まされてしまった。
私たちが或るバーで飲んだのであるが、この文学青年……といってももう二十七歳になり、時には原稿料も取れるようになっていて、文学に一生を捧げつくしてるような彼宮崎が、私の首筋にすがりついて泣き出したのである。
「文学なんかやめちまえと、島村さんが僕に云ったが、そんな理屈はないでしょう。ねえ、めちゃだ。清子なんかのことを、いつまでもくよくよ想っていて、愛することも憎むことも出来ないで、というのはつまり、ほんとに愛することも出来ないで、何が文学だと、そう云うんですけれど、そんなばかな話ってあるもんですか。島村さんにまで誤解されているかと思うと、僕は悲しいんです。第一、僕が清子を愛してる……独りでくよくよ想ってると、どこで証明がつくんです。そしてそのことと、文学と、一体何の関係があるんです。何にも関係はない。ねえ、ないでしょう。よしあったところで、僕は清子なんか愛してやしない。想ってもいない。彼女の病床に、毎日人形を買っていってやったにしろ、それが彼女を愛しているという証拠になりますか。人形を持っていくのが、僕にとって、ちょっと、ロマンチックに楽しかった。それだけでいいじゃありませんか。或る行為だけが楽しい、相手の人間はどうだっていい、たったそれだけのことが、どうして分らないのかしら。だから僕は、清子が大西さんとキスしようと、たとえどういう関係になろうと、一
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