てるところへ、彼女が全く知らぬ間に、私は姿を現わさなければならない。彼女の夢に私が現われる、その通りのことにならなければならない。そして、私は、夢の中と同様にして、彼女と対面しなければならない。寝言をいう人に向って、その寝言に応対すれば、その人の寿命は縮まるとか。眠ってる人に対して、夢の中と同様にしてその人と現実に対面すれば、相手とこちらとは、果してどうなるだろうか。寿命が縮まるぐらいのことは何でもない。
 ただ、困ることには、彼女は中途で眼を覚すかも知れない。つまり、中途で夢からさめるかも知れない。現実の私は消え去るわけにはゆかない。その時、どうなるか。どんなことが起るか。どうせためしてみるだけのことだ。構うものか。
 私はウイスキーに酔いながら、あれこれと手段を講じた。酔狂に類するこの考えも、実はさほど他愛ないものではなく、私としては痛切な感情の裏付けがあったのだ。私はやはり彼女を愛していた。愛していたからこそ、こんなばかげたことを考え廻したのである。考え廻しながら、私の心には、彼女の顔が、彼女の息が、彼女の肌が、しつこく絡みついていた。私はふっと涙ぐみまでした。彼女を溺愛した日々のこと、だいぶ遠ざかってきたこの頃のこと、夜中のことや朝のこと、さまざまなことが思い出された。彼女の音声まで耳に響いてきた。彼女はしばしば、なぜと反問してきた。なぜ、だか、なで、だか、丁度その中間のやさしい声音だった。
 彼女の新たな旦那がどういう男だか、私は知らない。私の方から聞こうともしなかったし、彼女の方から話そうともしなかった。私としてもさすがに気持ちのよいことではなかったが、嫉妬の念はあまり起らなかった。
「仕方がないのよ。許してね。でも、これから、あなたにお金の心配をあまりかけないですむわ。二人でぜいたくしましょう。」
 あっさりと、そのようなことを彼女は言った。私は返事をしなかった。その代り、彼女に酒を強いた。
 私は早速、実行にかかった。

 照代の家には、お多賀さんというばあやがいて、家事万端をやっており、その姪にあたる喜久ちゃんという少女もいて、洋裁と和裁との稽古をし、ゆくゆくはその道で立つつもりらしい。
 私は、近くの小料理屋から使いを出し、ひそかにお多賀さんを呼んでもらった。彼女はお湯の道具をかかえてやって来て、酒杯を受けながら、怪訝そうに私を見上げた。
 背は
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