準作法や標準語であると、こう逆説的に云えば、それは女を文化的に軽蔑したことになるであろうか。
I
ラジオの演芸のために、晩酌の習慣がついたとか、或は晩酌の銚子が一本殖えたとかいう話を、屡々聞く。
凡そ晩酌ほど愚劣な風習はない。フランス料理につき物の葡萄酒と違って、日本酒は、必ずしも日本料理につき物ではなく、単にアルコール性飲料との意味合を多分に持つ。その日本酒を家庭で毎晩、而も家長或はそれに類する人だけが摂取するということは、隠居という観念が死滅した現代では、全く意味を為さないばかりか生活力の減退を来す。禁酒の必要はないが、晩酌の禁止は必要である。健康上から云っても、毎晩一定量の酒を飲むことよりも、一週に一回ほど徹底的に飲酒する方が、まだ無害であり、殊に精神的にはそうである。
この晩酌を助長するようなものが、ラジオの演芸放送に果してあるのであろうか。罪は勿論、晩酌をする本人にあるであろうし、或はラジオの聞き方にあるであろう。だが、演芸と云えば、恐らく日本演芸のことであろうし、日本演芸には、酒の座席にふさわしい情緒、或は生活逃避的な気分が、伝統的にあった。昔は、歌舞
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