、人はなにかしら冷りとする。その頭脳の所有者のために、また自分等のために……。
自分等のための小さな私念は、しばらく措こう。そして、その頭脳の所有者自身のためには……。
頭脳のなかの抽出は、みな一様なものであろうか。形状大小は、固よりさまざまであろう。だが、その色合、その温度、その本来の性質が、問題なのである。
どこかに、隅の方に、奥の方に、柔かな特別の色合のものがありはすまいか。いつも暖く保温されてるものがありはすまいか。大事に錠がおろされていながら、いつでもすぐに開かれるようになってるものが、ないであろうか。――これが一つもないことを想像する時に、或は一つも見当らない時に、その抽出全部の所有者のために、人は冷りとさせられるのである。普通の人の心臓は、そういうことに堪え難いのである。
だが、安心してよかろう。抽出全部が右の如き特別のものである場合には、全く抽出がないのに等しく、そういうものは無いほどよろしいには違いないが、然し大抵は、どこかの隅に、一つ或は幾つかあるのである。これを人情の見地から云えば、それは砂漠のなかのオアシスの如きもの。――ドン・キホーテにはサンチョ・パンザがあり、ハムレットにはオフィーリアがあり、エディプスにはアンチゴーヌがあった。「臨終の枕辺に愛する者を一人も持たないことは、人生の最大悲惨事である。」と誰かが云った。
底本:「豊島与志雄著作集 第六巻(随筆・評論・他)」未来社
1967(昭和42)年11月10日第1刷発行
入力:tatsuki
校正:門田裕志
2006年4月26日作成
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