意に開けられ、また閉められる。凡ての抽出が閉められる時は、即ち睡眠なのである。
 事務机などの抽出にしても、仔細に観察する時には、不思議な感じを人に与える。各種の抽出に各種の事物が整理してある。全く未知の人の未知の室にはいって、そこにある抽出を一つ一つ開いてみたならば、如何なる発見がなされるであろうか。抽出とは一体、誰が考案したのであろうか。――而もここでは、頭脳の中の抽出のことをいうのである。全く抽出がなくて、あらゆる事実がむきだしに散乱してる頭脳もあろう。数個の抽出しかない頭脳もあろう。君の頭の中には幾つの抽出があるか?――無数の抽出があって、画然と整理されてる頭脳、それは驚嘆に価いする。
 斯かる頭脳の運行のなかでは、恐らく、思想も一つの事物に等しく、情愛や意欲も一つの事物に等しく、人間も一つの事物に等しいだろう。
「如何なる情意の動きも、彼に対しては働き得ないことを、私は漠然と感じた。彼は人間を、一つの事実或は物と看做し、自分と同類とは看做さない。彼は憎みもせず愛しもせず、彼にとってはただ彼自身あるのみで、他の凡ての人間は数字にすぎない。」――これはナポレオンについてのスタール夫人の言葉である。
 ここでは、ナポレオンのことが問題ではない。ナポレオンについて種々の見解があろう。ただ、彼に関する一二の事柄を機縁に、別な人間像を打立ててみたいのである。
 この人間像の、その頭脳の抽出のなかには、斯くして、あらゆる人間が、単に数字として、事物として、納められている。必要に応じて、それらの抽出のどれかが開けられ、中の物が取出されるだろう。即ち誰かが使用されるだろう。事物がその本来の用途にあてられるように、人間もその才能性格によって、それぞれの用途にあてられるだろう。こうした人間使用は、最も無私に冷静に、云わば公平になされるに違いない。この場合、使用者の方面について、利己的とか功利的とかいう言葉は、意味をなさなくなる。そこにあるのはただ、最も有効な使用のみであろう。
 このような頭脳が、大きく而も精密に発展してゆく時、それはもはや個人でなくなり、何か一つの社会的な力となるだろう。そこには、或は政治家の或は事業家の或は将帥の或は文学者の、超絶的に偉大なものの模型が見られる。
 然しながら、無数の抽出を具えるこのような頭脳、それを喚起しうち眺める時、或は単に瞥見する時にも、人はなにかしら冷りとする。その頭脳の所有者のために、また自分等のために……。
 自分等のための小さな私念は、しばらく措こう。そして、その頭脳の所有者自身のためには……。
 頭脳のなかの抽出は、みな一様なものであろうか。形状大小は、固よりさまざまであろう。だが、その色合、その温度、その本来の性質が、問題なのである。
 どこかに、隅の方に、奥の方に、柔かな特別の色合のものがありはすまいか。いつも暖く保温されてるものがありはすまいか。大事に錠がおろされていながら、いつでもすぐに開かれるようになってるものが、ないであろうか。――これが一つもないことを想像する時に、或は一つも見当らない時に、その抽出全部の所有者のために、人は冷りとさせられるのである。普通の人の心臓は、そういうことに堪え難いのである。
 だが、安心してよかろう。抽出全部が右の如き特別のものである場合には、全く抽出がないのに等しく、そういうものは無いほどよろしいには違いないが、然し大抵は、どこかの隅に、一つ或は幾つかあるのである。これを人情の見地から云えば、それは砂漠のなかのオアシスの如きもの。――ドン・キホーテにはサンチョ・パンザがあり、ハムレットにはオフィーリアがあり、エディプスにはアンチゴーヌがあった。「臨終の枕辺に愛する者を一人も持たないことは、人生の最大悲惨事である。」と誰かが云った。



底本:「豊島与志雄著作集 第六巻(随筆・評論・他)」未来社
   1967(昭和42)年11月10日第1刷発行
入力:tatsuki
校正:門田裕志
2006年4月26日作成
青空文庫作成ファイル:
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