も、みなその頃のことだった。また嘗て私は、ひとなみに恋をしたこともあった。はっきり自分の意中を打明けることも出来ず、はっきり相手の気持を掴むことも出来ず、ただ胸苦しい悲しい甘い心地に沈み込んで、草原の上に寝転んでは、すいすいと伸び出してる草の芽を無心に掴み取りながら、いつまでもぼんやりしてることがあった。
そういう時、悪魔的な暗澹たる気持に浸ってる時や、切ない悶えに悩んでる時など、私が兎も角も余り変な方向へ踏み迷わないで、どうにか自分の道を歩み続けてきたのは、母に対する感情からでもあった。
母を思うと、私は心がしみじみと落付いてきた。何をするのも嫌になり、生きてるのさえ嫌になって、死を決しようとしたり、または狂暴な感情に駆られたりする時、私はよく母のことを思い出した。すると私自身そのものが、取るに足りないちっぽけなものになって、母の温い懐の中に飛び込んでいった。何かこう大きな柔かいもの、自分を生んでくれた母胎、そういうものに静によりかかった気持だった。そしてただ在るがままのちっぽけな自分自身が、しみじみと感じられていとおしくなった。何がどうなろうと構うものか、私はここにこうしている、というその最小限度の存在感、云わば、富貴を願わず栄達を求めず、一介の虫けらに等しい自分自身の存在感、それが胸の底までしみこたえた。自分自身がいとおしく自分の生がいとおしかった。そして私はじっと自分を愛護する気持になって、その気持を母に伝えたくなるのだった。
それは、母を安心させ落付かせたいのとは違う。母に甘えるのとも違う。生れたままに生きていたい、そういった気持である。お母さん、私はここにこうしています、自分の在るがままの生を愛して生きています、と母に向って――大地に向って、囁きたい気持である。
然しながら、自分の胸の底を、も一つ奥深く覗いてみると、右のように二つに分けられないものを、父と母と一体をなしてるものを、其処に見出すのである。それのことを思うと私は、何かしら神秘的な涙ぐましい而も力強いものを感ずる。
平素私はそれを忘れがちである。今では私は、ただ輝かしい健かな世界を求めて自分一人で生きている。然しどうかした拍子にふと父母のことを思うと、自分に生を与えてくれた両親のことを思うと、そしてそれに思い耽っていると、明るくもなく暗くもなく、健全でも不健全でもない、或る隠秘な仄か
前へ
次へ
全5ページ中4ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
豊島 与志雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング