一緒に死ぬことが出来たら、或は幸福だったかも知れない。だが、そんな幸福に甘えてはいけない。

 正夫よ、窮迫のうちにあった君の父に、君が一の重荷となったであろうことは、君にも想像がつくだろう。
 老婢がよく家庭の中を整えていてくれたので、父は君について細かな面倒をみてやる必要はなかった。然し父は時として君の死を想像することがあった。君が風邪の気味だったり、胃腸を少し害ったりする時、父は君の健康に細心な注意を払いながら、それと同時に、君の死を考えることがあった。
 それは君に対してばかりではない。両親がある時にはその死を、妻がある時にはその死を、彼は幾度か夢想したことがある。そしてこういう種類の夢想は、一の願望にまで高まる危険性が多い。
 それは淡い漠然たる反抗であり、孤独放浪の気まぐれな憧れだった。親を捨て、妻を捨て、子を捨てて、何かに随うというような積極的なものではなく、その随うべき何かが全然欠如した、単なる憧れにすぎなかった。そしてそういう憧れは、逆に、愛情の深さ切なさをしみじみ感じさせるものだった。
 父は酒に酔って彷徨し、一晩も二晩も家を空けることがあった。その間君は、老婢と二人の生活をさして淋しいとも思わず、よく食べよく眠った。帰って来た父を珍らしげに眺めることさえあった。父はむっつりした様子で、碌に話しかけもせず、新聞や書信に眼を通していた。が、そうしながら、心で君の方をじっと窺っていた。
 そして夜、君がすやすやと眠っている時、幾度か、父の手はそっと君の手を握った。
 孤独放浪の旅を夢想しながら、君という重荷があるからそれも出来ないという気持でいた父は、まだ仕合せだったと云えるかも知れない。真に孤独になって、放浪の旅がやはり出来ないことを知るのは、悲惨であろう。
 そうした淡い反抗がすんで、それで愛情が一息ついて、そしてまたじっと君の手を握りしめ、君の顔を見入る時、父はその重荷たる君のうちに、如何に強い支柱を見出したことか。人が重荷を支えるのでなく、重荷が人を支えるのだ。

 さて、あの奇怪な事件だが、あの時の君の父の態度は実に立派だった。聊かも取乱したところがなかった。
 君の家と遠縁に当る秋山が、喉頭結核と腸結核で入院してるうち、或る夜、拳銃で自殺をした。あの事件だ。初め喉頭結核で、次で腸結核の徴候がきざしたので、あわてて入院したところ、病勢は急激
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