、新たな心を以て梅花に親しむことは、梅花に人間味が少いが故に益々、梅花が天上的であるが故に益々、人間にとってよいのである。
 この意味に於て、真に梅花を観るには、雑沓の巷や、広い梅林や、人工的な盆栽や、または月明の夜、などよりも寧ろ、自由な清々とした境地に於てがよい。必ずしも美景を要しないが、ただ自然の風趣の害せられていない、のびやかな環境の中に、一本の老木が、自然のままの枝振に、ぽつりぽつりと花をつけ、仄かな香を漂わしてるのを、少し冷かな二月の夜明け、薄霧の晴れやらぬ頃、爽かな空気を吸い、小さな霜柱を踏みしだいて、ふと気付いたまま、何気なく足を止めて、しみじみと見入り嗅ぎ入る心持、それこそ真に梅花を観るの境地である。その一本の老樹のたたずまいと、その清らかな花の姿と、その脈々たる香と、その清冷な早朝の空気とは、ただ一つ梅花の気品となって、人の心にしみ通るであろう。それをも卑俗と云うものは、卑俗のみを知って高潔を知らぬ徒輩である。



底本:「豊島与志雄著作集 第六巻(随筆・評論・他)」未来社
   1967(昭和42)年11月10日第1刷発行
入力:tatsuki
校正:門田裕志
2005年12月7日作成
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