が口に銜えて連れてくる。その方が実はよほど危いのだ。仔猫にはまたそれが面白いと見えて、なかなか親猫の云うことを聞かない。親猫は益々ヒステリー的になる。はては二匹で盛んにふざけちらす。それにも疲れると、日向に寝ころんでなめ合う。入浴の後には、濡れた毛を互になめ合い、寄り添って身体を温め合う。
そういう親猫の態度から判断すると、生後二カ月半もたったその仔猫を、全く生れたばかりのもののように考えてるらしい。而も自分の腹から生れたもののように考えてるらしい。ただ、とんでもない大きな子供が生れた、ということだけは考えないらしい。なお云えば、親猫には、子が死んだ後も母性愛が残っていて、その愛がこの仔猫を対象に選んだらしい。対象そのものが、自分の子か、他人の子か、小さいか大きいか、そんなことには無頓着で、母性愛はただ、本来の自然の働きを働いていったらしい。
対象を無視するそういう母性愛は、広い意味で、極端に唯物主義的である。或る種の吝嗇は、遂には黄金崇拝となる。或る種の名誉心は、遂には勲章崇拝となる。或る種の色欲は、遂には肉体渇仰となる。種々の感情や欲望も、極端に詮じつめれば、単なる唯物主義になることが多い。私の家の猫の母性愛は、自己満足だけで満足するほど唯物主義的になったが、猫の身の悲しい哉、人形愛撫にまでは堕しなかった。――其後、仔猫は些細なことで病死した。親猫の悲歎は見るも憐れだった。がそれに対して私は、猫の子の人形を与えてやる術を知らなかったのである。
尾の長い純白の男猫と尾の長い漆黒の男猫とを、私はいずれ飼いたいと思っているが、それまでの間、婆さんの猫は一人淋しそうだ。ひどく人なつこくて、飼家によりも飼主に属しており、而も心理的には更に唯物主義的なのが、怪しく私の心を惹く。
底本:「豊島与志雄著作集 第六巻(随筆・評論・他)」未来社
1967(昭和42)年11月10日第1刷発行
入力:tatsuki
校正:門田裕志
2006年4月23日作成
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