よろしかろうが、純白はあまり見当らない。大仏次郎君からシャム猫の子を貰うつもりだったが、純白でないから止めた。さし当り、純白の日本猫、そして尻尾のすんなり長いもの、ときめている。金目銀目は実はあまり珍重したものでなく、水色に青く澄んだ眼が望ましい。
 だいぶ前のことだが、野上彰君が猫を食う会を拵えようと私に提案したことがある。猫好きである以上、猫の血の一滴ぐらいは体内に入れておくべきだ、との趣旨から、猫の肉を食おうというわけだ。猫好きは多いし、猫を好んで描く画家も多い。この議が大仏次郎君に伝えられると、さしもの猫好きも眉をひそめた。よしそれなら、なんとか騙かして食わせてやれと、会合の実現をはかったが、遂にだめだった。犬なら赤犬の肉がうまいとされているが、猫なら何色がうまいか見当がつかない。但し、猫の肉は泡立ちがひどいそうだが、その泡を除けば、うまいことは確からしい。然し問題は、猫の肉をどうして手に入れるか、そしてどういう風に料理するかだ。知り合いの料理屋や料理人に相談してみたところ、初めから断られたり、請け合ったままで立消えになったり、遂に実現をみない。
 そのうちに、猫肉試食などに対する興味を私も失った。猫を可愛がることだけで充分に面白い。夜分は、白猫の三匹がそろって、或いは一匹か二匹だけ、私の布団の中にもぐりこんで来、温まりすぎると布団から出ていく。徹夜で仕事をしていると、朝まで座右に侍ってることもある。この節の猫は、病死の時も人間に介抱して貰いたがるし、お産も人間の寝床の中でしたがる。厄介なことだと思われないこともないが、今のところ幸にみな健康だし、女猫はまだ子供である。
 昼間、猫たちは、炬燵の上に寝そべったり、日向にまどろんだりしている。雨の日には、縁側の硝子戸を細めに開けておいてやると、そこに行儀よくうずくまって、外を見ている。雨だれを眺めているのだろうか、その音に聞き入っているのだろうか。いつまでも、倦きずにじっとしている。そんな時、彼等はいったい何を考えているのであろうか。
 古代エジプトでは猫は神獣だった。近世まで猫は一種の神通力を持ってる魔物だった。ただの飼養動物になってしまった現代の猫にも、私は特別な愛情を持つのである。



底本:「豊島与志雄著作集 第六巻(随筆・評論・他)」未来社
   1967(昭和42)年11月10日第1刷発行
※底本
前へ 次へ
全5ページ中4ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
豊島 与志雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング