う犬にとって致命的です。猫には、体臭というほどのものは殆んどない。その上、隙さえあれば、体の汚れを嘗め清める。更に感心なことには、体を嘗めているとどうしても脱毛を呑み込むし、それが胃袋にたまるので、時々、笹の葉やそれに類する草の葉をわざと食い、それで食道や胃袋をくすぐって、毛を吐き出してしまう。これは人間にも出来ない芸当だ。毒物に対しても極めて敏感で、誤って呑み込んでもたいてい自分で吐き出してしまう。このような点でも、犬の方がずっと野蛮ですよ。」
犬の先生――「それは、猫の方が本能的に敏感だということに過ぎないし、人間の住宅に侵入してきたのも、単に性質がずるいということに過ぎない。飼養動物としては、猫の方は野性的だが、犬の方は人間の生活によく順応してつまり、進化の度が高いと言えるでしょう。」
猫の先生――「猫は本来立派だから、進化の必要がなかったのです。第一、犬は全色盲ですよ。全色盲ということは、つまり灰色の世界に生きていることで、情けないじゃありませんか。」
犬の先生――「え、犬が色盲ですって……。」
ここで、美術学校教授の犬の先生は、止めを刺された形である。もっとも、犬が色盲だということは確かでなく、書物で読んだか人に聞いたか夢に見たか、猫の先生にもあやふやで、いい加減に言い出したに過ぎなかった。
この両先生の論争は、実は数回に亘り、もっともっと微細を極めたものであって、店の料理と一緒に酒の佳肴に供されたのである。それを茲に要約するに当って、猫の先生たる私は、いくらか猫にひいきしたかも知れないが、然し、後になって、犬の先生が猫を飼ったということを聞いたのは愉快だった。その小料理屋は戦災に焼けてしまったし、犬の先生の消息も途切れた。だが私は、未だ嘗て犬を飼ったことはない。
その代り、猫のために不思議な経験をしたことがある。
私の家には、廊下の奥の扉の下部に、猫の自由な出入口がある。約四寸四角ぐらいな穴で、そこに板戸をぶらりとおろし、内からでも外からでも突き開けられるようになっている。内部は廊下であり、外部には古い石像の踏み台がある。猫は利口で、そこを数回出入りさせると、あとは独りで自由に通行するようになる。
もともとこの家は、貧乏な私に不時の以外な収入があり、それをふしだらに浪費していたところ、ロザリヨと称するグループの友人たちが、よってたかって家
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